こんにちは、近藤です。
土曜日のひととき、皆様いかがお過ごしでしょうか。
この時間になってもうだるように暑く、過ごしづらい中筆を取った次第です。
今日は物語の続きの代わりに、少し思ったことをつづってみようかと思います。
タイトル『文化を共有することの難しさ』とさせていただきました。
(ここでいう文化とは、物語や音楽、創作物を始めとするサブカルチャー全体をざっくりイメージしております)
1.他人の文化を勧められると辛いこともある
「当たり前じゃん?」で終わりですが、それでは面白くないのでいろいろと。
私の好きなアーティストの平沢進さんが、以前インタビューでこのように話されていました。
リスナーさんからの質問に答える形です。
『師匠(平沢さん)の音楽を友だちに勧めたいのですが、どの曲がふさわしいでしょうか?自分(リスナー)は◯◯あたりがいいと思うのですが……えー勧めないでください。人の好きな音楽というものは、その人の今までのバックボーンに支えられているものです。私は街の中でJポップが流れているのが苦痛で、そういう音楽は大嫌いですし、聴きません。そういうのが好きな方は私の音楽を聴くのが苦痛になります。』
すべて言葉通りではありませんが、おおよそこのようなことをおっしゃっていて、強く共感しました。
また、これは平沢さんとは無関係ですが、以前ネット上でこのような書き込みを目にしました。
『友だちから勧められる動画のつまらなさは異常』
これも「確かに」と共感しました。
音楽も小説も動画もゲームも、その人なりのバックボーンがあって、ツボは当然異なります。
私がいかに素晴らしく感動した作品だろうと、私の理解者たちに刺さるとは限らない、ということです。
2.それじゃあ、「小説家」なんてやってられないのでは?
これは非常に難しいことなのですが、私は文章を書くことを生業にしています。
書いて読んでもらうのがお仕事です。
当然、私の文章に深く共感してくれる読者もいれば、「何言ってんだこいつツマンネ」で終わることもあります。
それでも、私も含めて多くのクリエイターさんたちは、創造することを決して辞めません。
自分の心の中から生まれたものを愛し、人に胸を張って勧めます。
それがたとえ、その人にとって最終的に苦痛であっても、己の作品が響く人に届けたい。
創り手のみなさんは、きっとそういう方ばかりだと思います。
3.「ヤマアラシのジレンマ」
相手に近づくと、自分から生えたトゲで相手が傷つく。
相手から離れると、心が冷たく寂しくて自分が傷つく。
有名な話ですね。
人から勧められる作品は辛いと分かっていても、勧めてしまう現象を考えたときにふとこの言葉を思い出しました。
「良かれと思って……」というのは自分も相手も分かっているので、怒ったり突き放したりするわけにもいかず、お互いに辛い思いをしてしまうこともあります。
まるで抱き合うことをためらうヤマアラシのようですね。
4.結論
そうは言ってもクリエイターは生産しつづけます。
それが仕事ですし、性分だからです。
自分の作品を求めている人が、世界のどこかにきっといるはず。
『面白い!』『次はどうなるんだろう?』『ワクワクドキドキした!』『とても怖くなった』など人の心を揺さぶって、刺激を与えたい。
私の作品が、この世のどこかの誰かに響くことを願って。
まとまりのない独り言でした。
ぜひ感じたことがあれば、書き込んでいってください。


























