「火の気のないところに煙はたたない」とよく言われている。桃太郎の話や浦島太郎の話は、そうした事実があったから物語が生まれてきたのだろう。桃太郎の話は、鬼が島があったかどうかは別にして、村人を襲ったり集落を襲撃して生活の糧を略奪する「賊集団」がいたに違いない。それを勇敢な青年がいて近くの青年たちを集めて「賊集団」を壊滅させ、略奪物を持ち帰り村人たちに分け与えたのだろう。猿などの動物は物語を面白くするための後から付けたにちがいない。なぜ、桃が流れてきたのか、それは人間が生まれる所を子供たちに話す事ができないので桃から生まれたという表現にし子供たちを楽しくさせたのである。
 では、浦島太郎はどうか。日本から中国の技術や制度を学ぶために、当時の隋の国、今の中国に政府は朝貢史を派遣した。それを遣隋使と呼んだ。西暦600年ごろである。これは日本に記録がなく、中国の「随書」に記載されているという。このころ「日の出づる国から来た使節」ということで「日本」という呼び名が使われた。619年に隋の国が滅び唐が建国された。従って、遣唐使となった。716年に派遣された遣唐使は、556人の使節団であったと続日本書紀に書かれたいるという。玄界灘の荒波を乗り越えて中国にたどり着いた者は数十人であったらしい。将に命がけの旅であったことは想像がつく。それも手漕ぎの船である。50人くらいで漕ぎ100人位が乗船したという難破するのも不思議ではない。1年以上の年月をかけて当時の都長安(現在の西安)にたどり着いたのだろう。遣唐使たちは、そこで世界情勢を学び、先進的な中国の技術や制度を学び、数多くの仏教の経典を集め、命がけで手漕ぎの船で玄界灘の荒海を乗り越え日本の都へたどり着いたのである。長い時には20年の歳月を得て日本に帰ってきたという。当時の平均寿命は、女性が27歳・男性が30歳であるといわれている。幼児の死亡率も高いし、穀類だけがおもな食糧、食糧事情も決して良くなかった。40歳まで生きたら「バケモノ」扱いにされたともいう。
 遣唐使が20年の歳月を得て、村へ帰ってきても殆ど知る者はいなかったかもしれない。竜宮城で乙姫様と楽しい毎日を過ごしたかどうかはわからないが、人間は往々にして自分の過去を話すときに、楽しいことのみを話すものである。遣唐使の話を基礎に物語を創ったのが、浦島太郎の話だろう。火の気のないところに煙は立たない。【高野勇一】