森元首相の浅田選手への発言
逆に言えば、裏表がないということなのかも。腹で何を考えてるか分からないような人ではないということかもしれない。
ある意味で安心できる。まあ、誤解を招かぬように言葉に気を使う必要はあるけれど。
「ツレがウヨになりまして」札幌公演
久々の更新である。仕事がいそがしく、そしてプライベートでも論文を書いていて、なかなか時間がとれなかった。
やぶから棒の更新だけれど、なぜかというと昨日演劇を観に行き、とても面白かったからだ。今日は午前中の予定はない。となれば、この時間を活用し書かねばなるまい。紹介せねばなるまい。京都の劇団、「笑の内閣」(http://warainonaikaku.sitemix.jp/ )を応援するのだ。
「ツレがウヨになりまして」という作品。笑の内閣は、昨年表現規制を扱った「非実在少女のるてちゃん」という作品が札幌で上演され、気になっていたが観ることができなかった。と言うわけで、僕が観るのは初めて、念願適ったかたちだ。
「ツレウヨ」は彼氏がネット右翼になってしまった女子大生が主人公の物語。
あらずじは、
~京都市に住む女子大生、日向あおいは最近同棲中のツレ、富山蒼甫の様子がおかしいことに気をかけていた。気になりパソコンを覗いてみると、そこには韓国への罵詈雑言が。心配するあおいをよそに、蒼甫はK-POPアイドルばかりよぶ近所のスーパー・フジマーケットにデモにでかける。
どうしちゃったのツレ?なにがあったのツレ?
笑の内閣、次なる全国ツアーは、愛国心を問う思想系ラブストーリー。~
以上ホームページより抜粋。
ドタバタと笑いで、愛国心とはなにか、国家とはなにかを問いかけている(ように感じた)。昔ながらの演劇人は「くだらない」と一蹴するようだが、権力や社会問題は笑い飛ばすことで相対化が可能になる面があると思う。演劇をはじめ芸術や文学の持つ力である。高間響さんの「あのお方」の物まねは秀逸だった。でも、テレビでは放送できないな。うん。
ネット右翼の台頭は、経済状勢と雇用の不安定化や、人間関係の希薄化による「つながり願望」や自己好転感の獲得、オーストラリアの精神病理人類学者ガッサン・ハージの言う「パラノイア・ナショナリズム」など、理由は複合的だ。ネット右翼とされる人々の個々の事情やパーソナリティー、生育歴なども、分析する必要があるだろ。この作品でネット右翼に走る富山君は、まさにダメな自分を日本に投影し、日本の良さを自分のものとして受容するすることで自己肯定感を獲得している。
愛国心はお手軽だ。名乗れば、そして外国を攻撃しさえすれば、なんとなく自分はこの国に貢献しているように思える。学歴がなくても、背が小さくても、運動ができなくても、仕事ができなくても、対人関係が苦手でも、愛国心を振りかざせば卑小な自己認識を払拭し、栄光溢れる希望の自画像に修正できる。
だが僕に言わせると、口汚いことばで在日た外国人を攻撃する輩より、近所の独居老人の家の前の除雪をいつもしているおじさんや、将来のまちづくりどうするか真剣に考える青年会議所の友人や、町内会の将来を見つめる共産党のおじさんや、歯をくいしばって子育てしてるおばちゃんたちのほうがよほど愛国的な活動だと思う。自分が住む身近な地域や身近な人により良くしようと思わないで、よく愛国心が語れたものである。地に足が付いていないとは、このことだ。国とは人の集合である。国を愛するなら、まず人を大切にするべきなのだ。この考えをネット右翼は「お花畑的思考」と攻撃するのだろうが、地域でまちづくりや被災地支援の市民活動に関わってきて、リアルな実感としてそう思うのだ。
愛国心が声高に叫ばれる時は、社会が病んでいる証拠である。心が平和で安定しているとき、豊かな時は愛国心は強調されない。
そして愛国心はネット右翼の専売特許ではない。右翼左翼、保守リベラル、それぞれは愛国の形の在り方だ。僕個人としては、理念や哲学を抜きに、「死んだらどこの国の土に埋められたいですか」と問われて「日本」と答えられたら、愛国者に一員だと思う。(客死した人や海外に永住した人を売国奴とか非愛国者とは思わないけどね。愛国心の在り方は多様)
演劇を通じて、そんなことを改めて考えた。
さてさて、この「ツレウヨ」は今日も午後2時から講演がある
<北海道公演>
【会場】シアターZOO 札幌市中央区南11条西1丁目ファミール中島公園B1F
http://www.h-paf.ne.jp/ogist/
【日時】
2014年2月16日(日) 14時
上演時間は約100分を予定しております。
【料金】
<一般>当日:3,000円
<学生>当日:2,500円 ※要証明書
ぜひぜひごらんください。高間さんとはなんだか良い友人になれそう。話してないけど。鈴木さんとももっとお話ししたかった。