下書き保存に保存していた記事の上書きです。

4年ぶりの更新は、2022年6月です^ ^

昨日、31歳になったんです。

奇跡の妊娠はしていません。

まだまだ子どもが欲しい気持ちをうまく消化できずに、自分で「いなし」続けて生活してます苦笑

今日、ふと自分のブログを見返したときに、泣かなかったんです。

下書きに保存していた当時の最終回用をアップします。


--------以下当時のブログ下書き。

まだまだ振り返るのもしんどい。 


6/9の胚移植予定日は、
腎移植してからちょうど8年の
「移植記念日」でした^ ^

なんとなく、スピリチュアル的に
運命を感じてて、
「いけそう(^ ^)!!」
なんて思っちゃってたりして…。

でも結果はダメで。

当日、夫も一緒に診察室に呼ばれて、
机の上の紙には、大きく「❌」。

先生からタイムラプスで途中で受精が5分割で止まった卵を見せてもらい、遺伝子側の異常との説明あり。

もう1回頑張ろう、と先生が言ってくれて、お金も今回は採卵費用だけでいいよ(受精卵培養はいらない)、って言ってくれて。
私はすぐに次の気持ちになった。涙は止まらなかったけど。
診察中、夫は何も発言せず。なんやこいつ、と思いつつ。またなんだかんだ前向きな気持ちになってくれるんだろうと思ってた。

だけど、診察後は慰めてくれるわけでもなく1人でどんどん歩いてく。

電車に乗っても無言。私が目を瞑ったらいつのまにか途中下車してた。びっくりだよ。

一人で家について、夫が帰ってくるのを待つ。やっと帰ってきたと思ったら「ただいま」もなく、第一声は、

「3回目の採卵するんなら、俺は絶対に協力せーへんからな!!体外受精はこれで最後って決めたやろーが。金の問題じゃねー!!」

怒鳴れば抑え込めると思ってるなんて、人としてどーよ。

でも、まぁ、この言葉聞いたら3回目まで気持ちを持っていくのはしんどかった。
夫をイチから説得してさ、ホルモン剤打って、卵の育ちを気にして、採卵して…受精するかしないかで一喜一憂して。

夫の怒鳴り声聞いて、自分の気持ちと夫の気持ちをまた不妊治療にむけるのはしんどい、もう無理って思った。つい2時間前までは3回目も頑張るっていう気持ちだったのに。
そしたら自然と

「私だって3回目やるなんて決めてないよ!!」
って怒鳴り返してた。

「さっきは採卵費用だけでいいって言われたらやる気だったじゃねーか!!」と夫。

「それは、○○(夫)もそれくらいの費用だったら最後に1回頑張ろって言うと思ったんじゃん!!」と私。

「はぁー?!金の問題じゃねーって何回も何回も言っとるやろが!!体外受精は最後、子供はいいって何回も伝えて納得してたやんか!」と夫。

もう疲れた。たかが2回の体外受精でって思われるかもしれないけれど、実際の治療より夫婦で治療方針や子どもを授かることへの価値観が違うしんどさ、実母含め周りの価値観が夫と同じのため味方がいないことがしんどい。わたしだけがもがき苦しむ。

「もういい。もういいよ、しないよ3回目は」
と号泣しながら震える声で伝えた。

「…わかった。声を荒げてごめん。」
と夫。

母も祖父母も(離婚しているため、父はなし!)
「今いない子どもより、ゆあんの体が1番って言ってくれる人はなかなかいないよ。もっと夫くんを大切にしなさい」
っていうの。

誰からも「よく頑張ったよ」と言われなかった。
何回も経験してきた腎臓の手術明けは、家族から何回も伝えられた言葉。
その言葉がなかっただけでも、周りから不妊治療は私のわがままだと思われていたのだとわかる。

27歳で、手に入れられないものを知る。

「ゆあんの体が1番大事だ」

と言う夫の言葉を支えに生きていく。

-----以上です。

いやー改めて読み直すと長文ですねー。
27歳か、若いなー。
27歳で不妊治療やめた人ってどれくらいだろう。
まだ初めてもいない人多いんじゃないですかね?

あれから我が家では不妊治療再開や養子縁組等、私たちの生活の中で「子を育てる」という話題はないです。

2022年4月、不妊治療が保険適用になりました。
不妊治療再開のいいきっかけとして、話題に出すことも考えましたが、それこそ「お金の問題じゃない」ので、言い出しませんでした。

不妊治療やめた翌年から「6月9日って何の日だと思う?」と夫に質問しています。

「ゆあんの移植○年記念やろー^ ^??」と夫。

私は移植記念日=子供を諦めた日です。
一生忘れることはないでしょう。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。4年?ごしの最終回です。