ツイッターで聞かれたのでガリ版刷りについての思い出をちょっと書いてみた。
昭和51~56年までの小学校時代、休み時間とかになると先生はいつもガリ版で書類の原稿を作っていたように思う。
普通のテストは印刷されたものだったが、小テストなどは先生の手書きだったし、遠足の案内・小テストの賞状・電話連絡網とかもすべて先生の手書きによるものだった。
カリカリ書いて(削って)はフーっと息を吹いて払い、また書いては払いと繰り返していたように記憶している。
今思うと、先生の授業時間以外の学校にいる時間の大半はガリ版作りに費やされていたのではないだろうか?
昭和63年に大学に入学し、アパートを借りれるお金が無かったので大学の寮に入った。
当時はパソコンが普及し始めてきていたが、プリンタで大量に刷ると割高になってしまうので、部活やサークルの原稿はパソコンで作り、冊子はコピー機でプリントするというのが普通だった。ちなみにドットインパクトプリンタは印字は早くランニングコストは安いが、使用時はうるさくデカイ。夜中に寮で使うと顰蹙ものである。熱転写プリンタは文字が綺麗で静かだが、印字が遅くランニングコストが割高になるという物だった。現在主流のバブルジェットプリンタはまだ出ていなかった。この頃パソコンを持っている学生自体少なかったと言うのもある。自分は理系の学生だったこともあり早々とエプソンのPC-286VGというPC-98互換のパソコンと熱転写プリンタを手に入れたため、文化祭の前は参加しているサークルの原稿を入力したり、まとめたり、印刷したりと結構忙しかった。
話を元に戻そう。
寮の規約や新入生歓迎の案内・各種イベントの結果などを書いた新聞のようなものなど数十部~200部くらい刷る場合、コストが掛からないガリ版刷りで行っていたのは当然といえば当然だった。
この頃、A4版の白黒コピーが10~30円、A4版のカラーコピーは250~400円だったはず。
もちろん値段に比例して綺麗に印刷できた。
しかし、仕上がりにそれほどこだわらず、大量に安く刷れるガリ版は寮生の必需品であったし、原稿を作る労力は寮生でまかなえると言うすばらしい構造だった。寮生の持ち回りでガリ版原稿を作り、輪転機で印刷したのはいい思い出である。実際には自分も1・2回程度しか原稿を作った覚えが無いし、作ったのはどんな原稿だったかも覚えてはいない。
ガリ版と言うと鉄筆でカリカリと書いて(削って)いくのだが、実際にやってみると意外と難しくなくサクサクと原稿を作っていくことが出来た。
これには少し驚いた。
やはり鉄筆と言うものはもっと力を入れないときちんと原稿を作れないかと思っていたのだが、良く考えれば小学校時代の女の先生でも普通に原稿を作っていたのだったな。
やってみると簡単だったとは言え、筆圧を一定にしないと印刷した文字がかすれたりして大変見にくくなるので多少慣れが必要だと思った。
デカイ輪転機に原稿をセットし、わら半紙をいれ、インクを塗りつけ(これが結構臭かった)スイッチを押すと、どんどん印刷されたものが出てきたのはちょっとした感動があった。
手をかけないと動かない分、単なる機械であるコピー機よりも人間味があったためかもしれない。
自分らが卒業する頃にはパソコンも普及してきたためガリ版刷りは次第に減っていったし、たぶん今ではもう使われてはいないのだろう。