自粛自粛ってもう聞き飽きたって
わかる、わかるよほんとにそうだもん。
でも大切な人やまわりに苦しんで欲しくもないし、
そうやって生きてるとどんどんもやもややイライラは募っていって、もう良いやってなってしまいそうになる。
ただ後ろめたい気持ちでみんなと会いたいわけじゃないし、どうせ会うなら周りや病気を気にせず目一杯楽しみたいから我慢。
リモート飲み会やらなんやらでみんなの顔を見て一安心。さらに楽しくなり、やっぱ友達って最高と実感。いつでも終われるし気使わずに済むし、リモート飲み会いいよね。
でもまてよ、実際会ったらもっと楽しいって
結局リモート飲み会なんてクソ食らえだ
だから待つ
その時が楽しみ
そのために苦しみ
誰からも優しくして欲しかったら誰よりも優しくあろう。
優しさって、甘やかすことでも厳しくすることでもあると思う。また逆も然り。
その人に寄り添ってその人のための反応を示すことが本当の優しさなんだと僕は思います。
愛は寛容でも親切でも謙虚でもない。愛は厄介でおぞましく利己的で、それで大胆。
愛は綺麗な絵を台無しにすること。すごい絵を描くために。
という言葉がハーフオブイットという映画にて語られていました。
僕はものすごくいい映画でそのシーンにもハッとさせれましたが、必ずしもそういうことではないと思っていて、愛は時に汚く、時に利己的で、時に美しく、時に綺麗なものなんだと思います。
つまり形はいくらでもあるもの。人によっても、時間状況によっても変わるもの。決めつけるもんじゃない。
愛とは努力すること
それもある意味では正しい
ブレブレなのは確かに良くない面を持つけど、これっていうのに固執し続けてしまうといつか自分の首を苦しめることになる。苦しむことも時には進む糧になるかもしれないけど、死んでしまうことだけはだめ。
なにしてもいい
人に嘘ついたって人を傷つけたって、犯罪だって、人を殺さず自分を殺さなければいい。ただ間接的に人をしに追いやることだってあるから、自分の言動についてはよく考えた方がいいという結論に結局なる。
そうやって考えたらたとえあなたが自分を正義だと思っていて正義=なにしてもいいという考えでいたらいつかあなたは誰かにとっての悪になる。だからこそ
人に優しく
愛する
この言葉の意味をよく考えることが大切なのかもしれませんね。
完全に生言ってますねー
はずかしい事言ってますねー
でもこれはずかしいって思うことが一番はずかしいからね。
あなたが素晴らしいと思っていることが一番素晴らしい
以上あざした
この世界の不治の病を全部ぶっ壊してやりたいよ
この世界の殺し合いを全部ぶっ壊してやりたいよ
願いたいよ願ってたいよ人が病に負けないことを
願いたいよ願ってたいよ愛が欲望に負けないことを
楽しくて悲しいちょっとしんどい毎日を愛そう愛そう愛そう愛そう愛
生きてることを「小さくて眩しいHAPPY!」と
愛そう愛そう愛そう愛そう愛