小さい時、世界の全ての良くないことは暴力から起こるんだと思ってた。言葉の暴力も含めて。
でも、違うんじゃないか、
と大学で学んで思う。
初めてそれを思ったのは、映画「ズートピア」を見た時。私は、あの映画はグローバルな現代社会をとても的確に表現している傑作だと思う。
映画ではズートピアという、草食動物と肉食動物が一緒に暮らす社会が舞台。そこで草食動物が肉食動物を凶暴にする薬で肉食動物を野生化し、危険な存在として野生動物を排除しようとしていた。
ここで違和感を感じた。肉食動物と草食動物のヒエラルキーが変化を起こすために草食動物が利用しているのは、暴力でも権力でもなく、草食動物の恐怖であること。
草食動物の恐怖を煽って、肉食動物の迫害を企んでる。むっちゃ間接的、でもとてもうまく作用する。
そう思って見渡したら、今までの歴史でもこの作用ってかなり起こってる。
ユダヤ人大量虐殺、黒人問題、IS、身近な例だといじめもそう。
簡単に言うと、自己のうちに異質な他者の介入がある、自己の存続の危険→排除という流れなのかな。
ここでもう一つ浮かび上がってくるのは、他者とは?自己とは?という問題。
ここは答えはない。無いというか、自己と他者の境界線は"任意に"移動させることが可能。これは大きなポイント。
眠い、続きは今度!