スピリチュアルとかだと、感じたことが全てとか、感覚を信じようとか、そんな風なことを言われることが多いけど。

それ"だけ"を頼りに生きる代償は大きいんじゃないかと思う

ちゃんと自分について"思考"する、その上で感覚を頼りに生きる

"思考"と"感覚"、この2つのバランスがとても大事だと今になって思う。


私は高校生のときに不登校になって、そこから将来について考えること、勉強することをやめた。

つまり、自分について(人生について、とか幸せになるために、とか)思考することを、やめた。

当時は脳のキャパオーバーだったのもあると思うが、とにかく、楽になりたい一心だった。

その後、無気力になり、一応親の手前もあり大学には通ったしそれなりに、考えて生きていたけど
自分の将来とか、やりたいこととか、全く考えられず、よりよい人生にはしたかったけど相変わらず考えることはしなかった。
ただただ、流されるままに生きてた。

だから、心地よくいるだけでいい、感覚を信頼しよう、とか、そういう類のものにハマったし、楽な方楽な方(思考しない方向)にどんどん進んでいった。

私はそういう本を、自分の都合よく解釈して、ただただ流されるままに今まで生きた。

やりたいな〜とほんのり思っても、じゃあどうやったら実現できるか?とかを思考する面倒くささからやらない
(思考する面倒くささ=心地悪いと思ってしまう)

なんてことを繰り返して、今の自分をつくりあげてきた。

そして、ただ流されるコミュニティに属してきた。

だけど、今、自分で流れをつくるコミュニティに属してみて、そういう人たちに触れて、自分もやってみたいと思っている。

自分の生きる軸を自分で掴みたい。

自分の人生は、自分次第でありたい。

そしたら、やりたいことを実現させるために"思考する"というプロセスが出現した。

今まで無視して流されるままに生きてきた私としては、"思考"がしんどい。

難なくできていたはずの"思考"が、できない。
少しやると、すぐフリーズする。

"思考"を手放した代償は大きい。

でも、少しずつ、リハビリ。

ちゃんとバランスを取れるように、少しずつ、やってみよ。


ゆう蘭