だいたいのことはフラグが立っている。
それを感知しているか。理解して自分で納得のいく判断ができているか。
通勤で地下鉄を使う。南から北へ。週末はクラブ活動があるので同じ経路で会社へ。
気になっていたラーメン屋があったので、九条駅で降りて、昼食にラーメンを食べて、京都駅から乗車した。
ちょうど2つの駅の間にお店があったから。
京都駅の改札を通ってホームに降りる。
ホームに溢れるようにいる人を見て、冒頭のことを思った。
普段の通勤で、京都駅から一気に電車が混むことはわかっていた。しかも今日は土曜日だ。
九条駅に戻って乗車すれば、ホームで混雑しないし、座ることができたなぁと。
たいしたことではないと思う。実際には運良く座ることができたし。
ただ情報を持っていながら活かすことができなかった自分に反省が残る。後悔までにはならないけれど。
情報は貴重だ。体験と経験は違う。体験したことから省察して学ぶことが経験。
ドイツの偉い人が、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉を残している。なるほど。そして本当の愚者は学ばない人だよなぁとも思った。この人はまだ高尚で、誰でも体験すれば学ぶと考えているんだろうと。前職で教員をしていたときに、たびたび取り上げていた。
つまり、日頃の経験(体験で得た情報)を活かせていなかった。反省。
これは習慣なんだと思う。
前職の時によくよく怒られた。本当に毎日毎日。朝になって目が覚めると、まず今日は何で怒られるんだろうと考えた。憂鬱なまま、もう出社しないと間に合わない時間まで身悶えていた。
そのうち、何で怒られるのか、どこにその要素があるのか考えた。そのリスクをどうカバーするか。思考が変化していった。
他責が全くできない職場だった。いや立場だった。
指示通りにしてミスしても怒られる。あなたが言った通りですよは通じない、もっと怒りに火を注ぐ。メールやラインで確認して証拠を残しても同じ。『俺は忙しいから見ていられない』と言われ、さらに『そもそもお前は、』と他のことに飛び火する。
ミスの原因が10あって、1つが私で、9つが相手でも1つの私が責められる。
自責で考えるしかない。相手はコントロールできない。自分の非を0にするしかない。実際は、それでも怒られるのだけれども、そのときは諦めがつく。自分にはどうしようもなかったから。でも1つでも自分のミスがあれば、それは私がコントロールできること、無くせること。
そのように考えると情報の価値が上がる。リスクとチャンスのフラグが立っている。掴めていれば、判断が変わったと。
自分を変えないと生きていけなかった。
変わったことは、よかった。変わらないといけない環境には全く感謝はないけれど。
変えて生き残れた自分でよかった。
だから今の安寧な日々でも、そのことは忘れたくない。