ネコ足のブログ -63ページ目

ネコ足のブログ

ブログの説明を入力します。

3/25に逝ってしまった。我が家としてはお葬式を初めてだしたのだ。
今でも不思議な感じ、ホントに死んじゃったんだなって。
小さい頃から祖母を、千葉のお母さんと呼んでいた。お婆ちゃんとは呼ばせなかった、それほど老いる事を嫌がった人だった。93歲の大往生だった。今思えば自分勝手な生き方をした人だ。私が生まれる前から未亡人だったから男勝りでひとりっ子の母を育てていたのだ。母がひとりっ子なのは出産は痛いからもう勘弁で1人しか産まない。私は3人産んだけどひとりっ子はかわいそうと思いから兄弟を作ったのに自分が痛いからという理由なんて、何だかな~ってそれを聞いた時思った。それもあってか母は3人を産み孫が7人とずいぶん産み増やしているのだ。
母は中学生で父親を亡くし最期は大変な思いで見送ったと聞いた。そのせいか結婚は20歳で私を産んだのだ。産んだばかりで実家に帰ると千葉のお母さんはいない。携帯などない時代、連絡取れないと心配した母は数日滞在した。やっと帰ってきた千葉のお母さんは顔中包帯で帰ってきたのだ。
「どうしたの?」
「渋谷で整形してきた」
二重と鼻筋を施工したらしい。そりゃあそうだ、昼は呉服を売りながら夜はスナックではたらく。指名受けたいもんな。
80歲過ぎにシリコンも落ちてきたからと母にまた渋谷でやりたいと言ってきたらしい。一応オンナなんだと思った。晩年は食堂やりながら生計を立てていた。気に入らない客には2度と来るなと塩をまくありさま。酔っぱらいを相手に出来るんだからスナック勤めも無駄じゃなかったのだろう。
ある日市役所の人がきた。70か75歲になるとお祝いを届けにくるらしい。客にはサバを読んで歳を言ってたから常連はママはいつくなのっていってきたらしい。それでも市役所の人間違えてるんだと言ったらしくいつまでも若いつもりでいたいようだ。自治会なんかの旅行だってバスなんか乗らない、新幹線でひとりだけ現地集合現地解散するような人。話を出したらきりがない。そうやって生きてきたから逝くときも、ものの5分もしないでひとりで逝っちゃったのだ。心拍が早くなってナースから担当医にすぐ連絡入れてもらって駆けつけたのに間に合わなかったのだ。誰も最期看取らず、とっとと逝っちゃうんだから。
死に化粧もほとんどせず口紅も付けないで綺麗な顔してたな、棺にはちゃんと口紅も入れてあげたんだ。向こうでおシャレしてほしいし、何十年も前に逝った旦那にこんなババアじゃないと言われないようにね。
人は生きたようにしか死ねないとよく言うが本当にそうだった。夕陽が地平線からなくなるように最後の最期まで自らを煌々を燃やしぱっと消える。私もそういう最期を迎えたい。
まだまだ先だけどねo(^▽^)o

千葉のお母さんありがとう~
千葉のお母さんのおかげでホントの幸せをつかめたよ、絶対的幸福を手に入れられました。
私も人生折り返した所だ、恩返しの人生を送るよ。生命は永遠だからまたどこかであいましょ。
それまでまたね(*´▽`)ノノ