藤村記念館(第1回建築学会作品賞)
谷口吉郎設計、藤村記念堂。(第1回建築学会作品賞)
今年4回目の岐阜遠足では
レンタカーを借りて少し遠出をしてきました。
目的は「藤村記念館」でした。
とても素晴らしい建築で、思わず下記の文章をメモしました。
こうした物語も含めて、第1回日本建築学会賞作品賞に相応しい建築だと感動しました。
何度読んでも、心震わされ、勇気づけられるお話なので皆様にもシェア。
是非ともご堪能下さい!
「この記念堂の建築はすべて馬籠村の村人によって作られた。
即ち農民自身の手仕事である。全くの素人に手で建てられた建物である。
大工、左官、屋根屋、鍛冶の仕事すべてが農民の手による。
しかし日ごろから水車、農具、馬具を自分の手で作る村人の仕事は、
専門の職人も及ばぬほど器用だった。
しかし青写真を始めてみる人たちだった。
その上、建築材料もすべて土地の物である。
材料、木曽の御料林から、花崗岩は谷川から、壁土はすぐ畑の土を、
瓦が不足したときは、既存の建物を板葺きにふき直してそこから瓦を運んだ。
障子の紙までが木曽の手漉きである。表門の金具も手作りである。
こんな「風土の技術」とこんな「風土そのままの材料」によって、
この記念堂の建築が築きあげられたのである。
従って私の設計も、その風土の技術と材料に応ぜねばならなかった。
始めて青写真を見る農民のために私は設計せねばならなかった。
それにも拘らず、村人の熱心さに全く私は感嘆した。
出来栄えの悪い所は、村人自身が進んで何度も何度も作りかえた。
工事中いろいろ苦難も起きたが、それも克服された。
田畑の忙しい時には、昼は野で働き、夜は遅くまで工事が進められた。
石材は、深い谷川から、村の娘たちや、幼い子までが肩にかついで運んできた。
馬も険しい坂道をかけ登った。一切が全く心からの寄進である。
中世の昔、アルプスの山奥に、村人が小さい教会堂を築く時も、
こんな工事であったろうと、私は思う。
その中世の建築は神に捧げられたものであった。
しかしこの馬籠の記念堂は詩魂に捧げられた建築である。」
谷口吉郎
お庭と藤村記念館。
お庭は焼失した島﨑藤村の生家跡地です。
藤村記念館の近景。
藤村記念館の入口正面。
一級建築士事務所
今年4回目の岐阜遠足では
レンタカーを借りて少し遠出をしてきました。
目的は「藤村記念館」でした。
とても素晴らしい建築で、思わず下記の文章をメモしました。
こうした物語も含めて、第1回日本建築学会賞作品賞に相応しい建築だと感動しました。
何度読んでも、心震わされ、勇気づけられるお話なので皆様にもシェア。
是非ともご堪能下さい!
「この記念堂の建築はすべて馬籠村の村人によって作られた。
即ち農民自身の手仕事である。全くの素人に手で建てられた建物である。
大工、左官、屋根屋、鍛冶の仕事すべてが農民の手による。
しかし日ごろから水車、農具、馬具を自分の手で作る村人の仕事は、
専門の職人も及ばぬほど器用だった。
しかし青写真を始めてみる人たちだった。
その上、建築材料もすべて土地の物である。
材料、木曽の御料林から、花崗岩は谷川から、壁土はすぐ畑の土を、
瓦が不足したときは、既存の建物を板葺きにふき直してそこから瓦を運んだ。
障子の紙までが木曽の手漉きである。表門の金具も手作りである。
こんな「風土の技術」とこんな「風土そのままの材料」によって、
この記念堂の建築が築きあげられたのである。
従って私の設計も、その風土の技術と材料に応ぜねばならなかった。
始めて青写真を見る農民のために私は設計せねばならなかった。
それにも拘らず、村人の熱心さに全く私は感嘆した。
出来栄えの悪い所は、村人自身が進んで何度も何度も作りかえた。
工事中いろいろ苦難も起きたが、それも克服された。
田畑の忙しい時には、昼は野で働き、夜は遅くまで工事が進められた。
石材は、深い谷川から、村の娘たちや、幼い子までが肩にかついで運んできた。
馬も険しい坂道をかけ登った。一切が全く心からの寄進である。
中世の昔、アルプスの山奥に、村人が小さい教会堂を築く時も、
こんな工事であったろうと、私は思う。
その中世の建築は神に捧げられたものであった。
しかしこの馬籠の記念堂は詩魂に捧げられた建築である。」
谷口吉郎
お庭と藤村記念館。
お庭は焼失した島﨑藤村の生家跡地です。
藤村記念館の近景。
藤村記念館の入口正面。
一級建築士事務所