人はいつも思っていること、命を捨てるなどと、いつも足を引っ張り、士気を下げるようなことを言っているやつでも、命の危険が、晒されたら、考えが変わると思う。長期間、一定期間、わずか2分でも死ぬか、どうかの瀬戸際に立たされたら、。。。。。。

 

考えが変わらず、最期まで、「子供だけは」とっか、他の人の命の保証、安全、心配をし他人の身を案ずる者は、この世界でも、ごく、一握りに近いであろう。世の中95%は自分本位な世界であろう。

 

 

勢いで死の例えは、

車が来た。子供が道路に飛び出し、轢かれそう。とっさの行動、勢いなどで助けるかもしれない。

その一瞬で助けたり、するのが一瞬、勢いであり、酔いであろう。酒に酔うのではなく、思考能力への酔いだ。

咄嗟の自身の何気ないごく平和な日常から、相反し、交通事故、それから火事、地震、不幸など平和から、恐怖、震撼、緊張張り巡らす状況に落ちた時、人は酔う。まともな判断が、出来なくなったり、とっさの行動に出たりする。

 

これが思考の酔いだと考える。これにより一瞬の出来事により、命を投げ捨てることも、容易なことに、なるのであろう。

 

で話を戻し逆に、命の危機に数分間、またはそれ以上に揺さぶられた状況などに陥ると、あれま不思議。

あんなに「死にたい、消えたい、自殺したい」と、逆程のよい言葉の三種の神器を発している、ヘラ&構ってマン達はまるで10v加えた自働高速ルーレット張りの速さで考えが変わるのだ。

 

私自身も、もし、命の危機に晒される状況に立ち会ってしまった場合

息を吸うことも忘れて、必死に命の保証を懇願するのであろう。

 

だがそれが人間らしくていいのだと思う。

 

最期まで人を案ずるのも、懇願、少しもの延命、その後の余生を考え、人生を振り返りなど何億をも通りがあるのであろう。

 

その中でどう生き、どう死ぬかも次第、長生きも人によれば幸せ。人によれば長寿も苦痛をも与え、苦しむこともある。

 

だがそれが、人生だと思う。

 

             fin

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、しようのない理由で人を殺すのは理由があってもどうかと思うがね。

                                  完