世の中からイジメ0を掲げている割には、この発言行為は、イジメではないという根拠はどこにあるのか?SNSという世界中の人々が見る場所で、同じ事をしている事が本人にはわからないようだ!
妻や誰かを守る為に正義を貫くや守りたいという想いのもと書いたんだろうけど、第三者の読み手側から見ると温度差が伝わってこなくて攻撃を仕返していると受け止められますね。これらの行動を『ネットイジメの再生産』といいます。
目には目を、歯には歯をのハンムラビ法典(Code of Hammurabi/ハンムラビほうてん)精神論は、つまり「やられたから、やり返す」という考え方は一見“正義”に見えるけれど、実際には新しい怒りを生むだけなんですよね。
いじめ問題やSNSの炎上でもそうですが、攻撃の正当化が続く限り、誰も救われません。どちらの側にも「悪役」が生まれてしまう。
ちなみに
⚖️【ハンムラビ法典とは】
• 紀元前18世紀ごろ、古代メソポタミア(現在のイラク周辺)で制定された法律。
• 制定者は バビロニア王・ハンムラビ王(Hammurabi)。
• 世界で最も古い成文法のひとつとされています。
イジメ0を掲げるなら、感情の連鎖を止める覚悟が必要になるはず。
罪を憎んで人を憎まず。という精神論が必要であって、意味は、人の行動を責めず、その行動を生んだ背景を理解しようとする姿勢。連鎖を断ち切る力が必要になります。この連鎖を断ち切る力を貫くには、感情を押し殺す強さと自分を俯瞰(ふかん)出来る冷静さが必要です。
罪を憎んで人を憎まずという教えは、古代インド〜中国思想の中で共通して語られた悪行を責めても、行為者の人間そのものを憎んではならないという仏教と儒教の融合的な倫理観として生まれた言葉です。
本当に國光吟や小林麻耶が掲げる理念『イジメ0』を目指すなら、この段階で対話や沈黙による尊重に変えた方が説得力が増すと思います。『イジメ0』を信条にしてる人が怒りで同じ土俵に立ってしまうことは、SNS時代の倫理的ジレンマですね。
もし『イジメ0』を本気で目指すなら、以下のことが大事
- 正義ではなく、共感を軸にすること
- 敵を作らず、原因を見つめること
- 赦す(ゆるす)ことは、弱さではなく希望の証
2.の意味は、行為を止めても、人の心の痛みは残る
3.の意味は、許しが生まれた瞬間に、憎しみの連鎖は静かに止まる
最近のネットブラウザーには、自動翻訳機能が備わっています。自分達の国々の言語に翻訳されて見られますからSNS上に何かを発信する場合は、怒りや感情を面に出して書かない方が安全ですね。
一応話して起きますが、日本国内で放送された番組は、日本国内でしか放送されません。国際放送ではないので、見ている人は、日本に住む人々のみ。インターネットは、世界の7割のみです。政治的な制限によって遮断されている国々(北朝鮮、イラン、中国など)は日本のSNSを正規ルートで閲覧することは出来ない仕組みになってます。
