今年も残り6日、会社は2日のみ。直面する問題への取り組みをしっかりと行いたい。

自宅のパソコン不調もネットとメールがつながり、プリンタードライバーもインストールして印刷も可能となった。後は、年賀状の印刷が残っている。いまのペースだと中央郵便局持ち込みになりそうだが。

仕事の懸案事項もよい兆しが見えてきた。予断は許されないが、最後まで気を緩めず、しかしうまく収まった際には、自分に対しても褒美を与えたい。
一般的にビジネスや人間関係でトラブルが発生した場合、こちらに正当性があると思っていても、全面的に戦うことだけが得策とはならないと思います。

自らの主張を通すために、そこに多くの時間と労力を注いで、得られるものより、多少の譲る部分があって、そのトラブルを早く終息させた方が、トータルで見てもプラスの結果になると思います。

もちろん、個人であっても企業であっても、それぞれの置かれている状況や考え方、ポリシーによって、個々のケースに対する取り組み方の違いはありますね。

一方、別の見方もあると思います。戦うこと自体に意味があるという考え方です。

自らの主張を引き下げて小さな負担で終息させるより、たとえ負担は増えても、譲れない部分は堂々と主張するという考え方です。
ビジネス社会では、言った言わないというトラブルを避けるため、文書に残しておけと言われます。

契約書や覚書まで行かなくても、発注伝票や仕様書のような書面に必要事項を明記すると言うことです。

これは男女の間でも、合意があったとか無かったとか、あるいは、メールの交流を楽しんでいたとか無理強いされていた、と言う、似たような話があります。

今はメールやSNSでのやり取りが合意の証拠として裁判に取り上げられることがあります。

しかし一方が上司や先輩の場合、相手に気を使った表現が使われ、それが相手にその気があると勘違いされることもあるようです。

この辺りは大変難しいですね。

人間関係は「好意がある」「無関心」だけでは表現は出来ないと思います。

最初は多少の好意を持っていたのに、途中から嫌気を感じ初めることもあります。

そうなると男女の合意の意味合いは極めて限定される気がします。