3月11日からの出来事3 | あるべき姿に

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地震にあった時、自宅、会社にいたのは、私と父と祖母、そして事務員さんです。


私は事務所に行き、事務員さんに早く帰宅するようにと促しました。この事務員さんの人柄が出ているのですが、散乱した書類を片付けているのです。だから私は早く帰るようにと強くしゃべりました。


父は自家用車を高台へ移動しておりました。これは車を守ると言うよりは、あの日はまだ寒かったので祖母に暖をとってもらうのに必要だったからです。


私は事務員さんに声をかけた後、祖母を非難させるために部屋に行ったのですが、祖母の姿はありませんでした。


後で分かったのですが、あの揺れと同時に高台の方へ自分で避難したそうです。私はてっきり父の車に乗って避難したと思っていたのですが、自力で非難するところ祖母らしいなぁと思っておりました。


自分が避難するのが遅くなると私達に迷惑がかかると思ったのでしょう。



でも地震で祖母が急いで避難したのは今回が初めてです。薬や貴重品も持たずに。やはり感じるものがあったのでしょうね。今回の地震はただ事ではないと。


避難する時に少し無理をしたみたいで、足を痛めてしまったのです。もう少し早く祖母の元へ行っていればと申し訳なく思っております。


そして私は家の中の様子を確認したのですが、かなり散乱しておりました。今での地震とは違うと改めて感じました。


そして私は最低限の必要なものと思い、顧客様名簿とお客様から頂いた手紙とパソコンだけ持って避難しようと思っていた所に、スーパーにいた母が戻って来たのです。



結果的には高台に避難していた祖母を乗せて、親戚宅まで送り届けくれたので英断だったのでしょう。


ただ、私は激しく怒りました。今回は津波が来るまで時間があったから良かったのです。


なので以前、ブログで書いた家族の決めごと。てんでんこに避難する事が決まったのです。


そして私も高台へ避難しました。


そこで生まれ育った町を襲う津波を目のあたりにする事になります。



つづく

3月11日からの出来事4


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