「なりたい自分より」「望まれる自分」となれ! | AKB48 LIFE

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アイドルグループなしの人生なんて...退屈である。

AKBは社会の縮図だ
AKB48グループの魅力はなんといっても、そこに社会の縮図が濃密に詰まっていることだ。夢に希望、努力に根性。葛藤、絶望と希望。光と影。見えない階級。

実際の社会はもっと複雑でなおかつ、公正ではない。しかし、AKBだけは平等ではなく、やり方や努力の仕方、もしくは運次第で「公正」にチャンスをつかむ仕組みがあるのが人々を熱狂させる。

この「公正」を「平等」とはき違えるモノにとってはAKBだけじゃなく社会構造を理解できない(これは、民主、共産、社会主義等々すべての社会構造に当てはまる)人にはわかるまい。

社会構造とは成熟すればするほど、また歴史を重ねれば重ねるほど、「しがらみ」という茨にがんじがらめになっていく。

だから、必ず来たるべきところで破壊と改革が行われ、新たなモノに刷新されていく。

その構造を体内で(団体としたら組織内)代謝できるものだけが生き残っていく。これは世の常だ。

AKBという団体はその代謝構造をアイドルという不確かな理念を掲げながら続けて生きた稀有な団体でもある。

しがらみの茨を自らの手で破壊し、革新してきた。だから今日の盛隆がある。

経済成長という腐りかけたしがらみの茨の中で生き続ける現代人にとって、それは理想の社会構造だと思う。だから、しがらみの中で生きる大人はAKBの中に希望を見出すのだ(特に我々のような中年以上のおっさん達わね)。

なりたい自分という夢の呪縛から逃れよ
それで、総選挙の話のだが...。いやがおうでも義務であった総選挙が立候補制になったことで、メンバー個人個人が「今の自分はなりたい自分なのか?」と深く考えるようになって、自己実現渇望症となっている。

「そもそも、自分は何を目指して、そして何になりたくて?AKBの門をくぐったのか?」と。

自分が望むような形でないら、それを否定というより参加しない方法があるんじゃないか?いや、そうであってもいいじゃないかと思うようになる。

確かに人の人生や進む道は個々に委ねられるから、どれが正解かわからない。そこに参加しないのも一つの答えであるかもしれない。

だけど、自分がくぐった門の先にある試練であるならば甘んじて受け入れる、いや、率先して参加するべきである。

それが、嫌なら新たな道を探すか、自ら創造しパイオニアになるしかない。

多種多様な人で構成される社会とはそういうもである。

そこに所属する組織人として、自分にそぐわないとはいえ、組織の理念に反する行動をする人物はそこで生きづらくなるのは当然なのである。

つまり、自分の望む夢や考えを優先してしまう。一見、ブレないし、カッコよく見えるが、組織構図の中では単なるワガママだ。

社会構造の中で生きるなら、その理念にあった指針に沿った行動をしなければな組織や社会は構築できない。

そう、社会で生きるなら、なりたい自分だけじゃなく、そこに必要とされる自分になるべきだ。

それは、個人が決めるんじゃない。その人を支持してくれる人が決めることなんだ。

大人になっていくと、「なりたい自分」より「望まれ必要とされる自分」の方がどれだけ価値があり、大事なことかが分かる。

結局、人は一人では生きていけない。誰かに頼り頼られ生きていくしかない。独りよがりな自分の夢を追っていても人は応援し続けてくれない(類い稀なる才能とカリスマがあれば別だが)。

誰かに応援されたいのなら、苦しくても自分が望んでいなくても「人に望まれる自分」になるべきだ。「そう望まれた自分」こそが自分がやりたかった夢でると。

だから、応援したいと望む人がいてくれる、こんなにも幸せな状況に置かれているAKBに席を置くのなら、総選挙には出るべきだ。結果なんか、二の次だ。いや、なりたい自分なんて二の次だ。

望まれているうちが華なのだから...。

残酷なことを言っているのは重々承知だ
応援させる側の苦しみが甚大であるのは重々承知でだが、応援される側になった身として受け入れなければならぬ責務の一つだと思う。

なぜなら、担いでいる神輿の上から神(自分の推しメン)が降りちまうことくらい担いでいる身(ファン)にとってツライものはないからだ。

それが分からないようなら、AKBだけじゃなく、人間社会の中でもっとも競争原理構造が激しい芸能界なんかじゃ生きていけない。

それを承知で、総選挙に出ないのならそれも良し。立候補制になっているんだから、総選挙に力を入れる分、他のことでファンを満足させ新た活路を見出そうとしているんだろうから。

ただ、不参加だからといって、客観的に総選挙を観るという考えは止めた方がイイ。AKBメンである限り(もしくは卒業が決まっていない限り)そのイベントに参加しなくても、あくまでも主人公なのだから。

客観的にAKBイベントやグループを観るようになるのはAKBを卒業してからだ。AKBメンでいる限り、常に全力で主観者であるべきだ。