AKBの詩には日本人の「せつなさ」が詰まっている | AKB48 LIFE

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アイドルグループなしの人生なんて...退屈である。


80年代・青春世代をくすぐる楽曲、AKB48

80年代(特に後半)質より量を求めた最後の現在のアラフォー世代にとって、人数の多くて企画ものっぽいAKB48はまさにドンピシャストライク(言い回しが古い)のグループでもあります。




また、AKB48のプロデュースがおニャン子ブーム時に青春を過ごしたアラフォーの私にとって神にも等しい秋元康だからなのだろうか?(オッサンになると何事もその理由が知りたくなる)。



オッサンらしく分析するとAKB48に惹かれる理由はそんなところか?




「せつなさ」を感じるAKB48
だ、け、ど ....80年ぽい導入)。彼女らの楽曲とその姿勢にはおニャン子のときには感じられなかった、日本人が持つ独特の感情が溢れている。一言で言うと「せつなさ」といものなのだろうか?



「せつなさ」とは?

寂しさや悲しみなどで胸がしめつけられるさま。ただ悲しく、寂しく、つらいというネガティブな意味合いだけでなく、その中にはとても大切で美しいポジティブな意味合いが含まれる。「広辞苑」




エースと言われるほど人気を誇る前田敦子がなぜゆえ、あんなにも人気なのか?それは彼女がかもし出す「せつない」その表情にあるような気がします(明るくとびっきり美人でないけどどこか憂いがある)。



また、どのメンバーもその容貌の裏に苦労やのし上がってきた表情がみえる。同時に生まれ持った天性の華はあまり見えません(メンバーの経歴を見ると下積みが長かったする)。




さらにAKB48の歌詞には、ここ最近、流行の「好き」という言葉をダイレクトにのせて何度も狂ったように繰り返し、く脅迫的で独善的な恋愛歌とは違い、照れ隠しのような歌詞やメロディーにも「せつなさ」を感じます。



曖昧を尊ぶ日本文化と日本語

「せつない」は日本語らしい独特な「曖昧な」表現で、日本人特有の感情を表す上で、代表的な感情ともいえるでしょう。




文学、音楽、絵画とうの日本芸術を理解したのならこの「せつなさ」を理解すればほとんど解るといっていいでしょう。たぶん。



特に日本の「うた」(歌、唄、詩等全て)はこの「せつない」気持ちをどう巧く、さりげなく、でも誰もの心に深く染込ませることで、その良し悪しが決まる気がします。百人一首に民謡、俳句、現代曲すべてに当て嵌るはずです。




ただ、悲しく、ただ、寂しく、そしてただ単に無常に苦しいだけでなく、そこにどこかポジティブにも似た憂いの気持ちが入るのが「せつない」。これに嵌ると日本人は誰でもグッときちゃうんです。



灰色の気持ち

そう色で例えれば、黒でも白でもない、なんとも表現しがたい灰色ってところでしょうか?だけれでも、最近の日本社会はなんでも解り易く白・黒つけたがります。そこには「せつない」ような微妙な感情の余地はありません。白黒ハッキリは後で振り返るとただ、単にスッキリするだけで、何も残らないのに。




なんてことを、考えながらAKB48の「君と虹と太陽と」を聴いているのは私だけでしょうか。