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BCTのブログ

みんな突然なる。病気なんて突然やってくる。だから、ちょっとでも励まし合えたらいいんじゃないかと思ったのだ~。私が励ましてもらう、それもうれし♪ だけど、私が同じような境遇の人を励ませたら、それもまたうれし♪

昨年の秋くらいから、施設や病院から緊急のお呼びがかかることが増えて、その都度あたふたと家を飛び出し、あれやこれやと世話を焼いた記憶がある。病院に泊まったこともあったなぁ。施設に泊まったこともあった。


GW前からは何度となく危篤の呼び出しで、その都度緊張していたけど、その度によく回復してくれたなぁって思う。


そういう呼び出しは、その時はしんどかったけど、今思うと、無いのが淋しい。


今度は私ではなく、私を呼び出していた母が、呼ばれてしまった。おそらく父や祖父母に。


みんな5月が命日。嫌な予感がなかったわけではないけど、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。あと1年、いや2年とかは大丈夫なんじゃないかと、希望的憶測を抱いていた。


母の日に逝くなんて。そんなに私が母の日を覚えてないって言いたかったのか?


確かに、母の日よりもどちらかというと敬老の日かなと思ってたけどさ。


ブログを読んでくださっている方はご存じかもしれませんが、母はずっと認知症で、もう私のこともよくわからなかったと思います。名前なんかもう何年も前から全く忘れていたし、会話なんてもう何年も成り立たなかった。最後の半年は、言葉も発することができなかった。認知症の母を、初めは受け入れられなかった時期もあったけど、母としてではなく、面倒を見なくてはいけない極身近な身内、という感覚でいた自分がいつの間にかいた。


こういっては何だけれど、母に万一のことがあっても、あまり悲しまないのではないかと思っていた自分を否定できない。


実際、母を看取ったとき、あれだけ認知症の顔つきだった母の顔が、息を引き取った後、認知症を発症する前の母の顔に戻っていた(気がした)。そして、やはり母は母だった。


亡くなってから、母の母としての存在が、自分の中でどれだけ大きかったのか、思い知らされた。認知症の母に世話になっていたのは、私の方だった。


イベント前の一番しんどい時期、泣きながら仕事して、材料になんども涙がこぼれそうになるのを何とか阻止して、その間葬儀やら手続きやらして、いや~正直しんどかったよ、母ちゃん。


けど、このしんどさのおかげで、ただひたすら悲しみに打ちひしがれることなく、立ち直れてきている。きっと母は、そういうタイミングを見計らってくれたのか?それとも、向こうにいる父が「今だ!」と、半ば強引に母を連れていったのか?すべては私の都合の良い解釈だけど、何でもいい。とにかく無事にイベントも終わり、手続きやら四十九日法要・納骨の準備もしっかり進められている。


しばらくはまだ忙しさが続くけど、この忙しさが気持ちを前に向かせてくれている。


病気以来、ずっと目標にしてきたこと、”両親を見送る”ということを、こんなにも早く体験するとは想像できなかったけど、ひとまず見送ったことに、今正直ホッとしている。


けど、見送るということは、この悲しみを乗り越えることを含めての”見送り”。もう少し、時間が必要だな。