当店、おかげさまで本日7月13日をもって8周年を無事迎えることが出来ました。この日を清々しい気持ちで迎えることが出来たのも、お客様はもちろんですが歴代スタッフ達の頑張りがあってこそです。
長きにわたり同じ場所で接客をしていますと、自分が気がつかない範囲で惰性が生まれていたりするかもしれません。今後も常に程よい緊張感や、僕が今後も目指しているもてなしの極意「四規七則」を心に持ち続けて実践していく決意でございます。
9年目のCloud9を宜しくお願いいたします。
Cocktailsalon Cloud9
代表 工藤太一
四規七則
「茶道裏千家淡交会 会員のしおり」より抜粋
七則はある人が利休居士に「茶の湯の極意を教えて欲しい」と尋ねたのに答えたものだそうです。ところが、その答えが当たり前のことすぎたので「そんなことは誰でも知っています」というと、利休居士は「この心に適う茶ができるのであれば、あなたの弟子になりましょう」と言われたそうです。
四規
和敬清寂
七則
茶は服のよきように点て、
炭は湯に沸くように置き、
冬は暖に夏は涼しく、
花は野の花のように生け、
刻限は早めに、
降らずとも雨の用意、
相客に心せよ
和
茶には「和」という根本理念が流れています。それは、茶人たるものは腹を立てないとか、仲良くするべきだとかいった表面的なことのみならず、己の心の和、道具の取り合わせの和、席中相客の和が合わさってこそ、心の乱れのない点前ができるのです。かつて聖徳太子の十七条憲法の冒頭において「和を以て貴しとなす」と唱えられています。また、人の心の和とは禅の悟りの境地を表すものでしょう。この普遍なる価値を有する和は、茶の修道においても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるものです。
敬
人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うことがなければ、どんな茶事や茶会でも自己満足で終わってしまいます。また、道具への敬の念、弟子から師へだけでなく師から弟子への敬の念、仕え合いながら自然に「敬」の心を育んでいきたいものです。上へへつらうことなく、下には丁重に接することで、敬し敬される関係が生まれるのです。
清
清らかであること。例えば、茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い口を漱ぎますが、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりではなく、手水の水には心身を清めるという意味が込められているのです。また、神社へ参拝する前に手水を使うことからも、手水で清めるほどの神聖な場としての茶室という位置づけが示されているといえます。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、同時に内からも清めているのだという気持ちを大切にしましょう。
寂
寂、すなわち静かでなにものにも乱されることがない不動心を表しています。客は静かに心を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた語によって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。そして感謝を込めてお茶をいただく。こうした茶の実践を積み重ねていくことによって自然の中にとけ込み自然を見つめ、自分をも深く見つめることができます。まさに自然と同化することによって寂の心境に至るのです。心に不動の精神を持っていれば、どんなことにもゆとりを持ってやっていけるという心の大きさが生まれます。そうしたゆとりの中にこそ、茶の道が奥深く開けてゆくことでしょう。
茶は服のよきよう点て、
「服のよき」とは差し上げる相手が飲みやすいように、適度な湯加減と茶の分量でお茶を点てるということです。熱すぎてもぬるすぎても不味くなってしまいます。形通りに点てても心がこもっていなければ何にもなりません。亭主は心意気を込めてお茶を点て、客はその心を感謝して服す。そういった主客の直心の交わりがあって初めて本当の意味での「服のよき」お茶が供されるのです。
炭は湯の沸くように置き、
炭手前は茶の湯で大事な手前です。炭は押さえつけられず風通しよく組み、灰形を整える。一連の手前を炉では近くににじり寄って拝見します。茶を点てる湯は沸騰させればよいのではなく。自ずから適切な温度があります。釜の湯の沸くしゅんしゅんという音を聞き点前にかなった湯の熱さ加減を知ること。茶の湯の基本は文字通り湯相と火相にあり、時・時間に応じてそのバランスを取り、美味しいお茶を点てることに全神経を集中したいものです。
冬は暖に夏は涼しく、
冬は暖かく夏は涼しく過ごしたいと思うのは誰しもです。けれども茶の湯においては、現代の空調設備を駆使して人工的に快適にすることとは自ずから意味合いが異なります。「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように」という、「いかにも~ように」という心映えを生かした工夫が求められるところです。茶事も夏なら朝の涼しい内に催し、茶室の中、露地、道具の取り合わせに様々な配慮がなされます。自然に対抗するというより、自然に融和し、四規の移ろいの偉大な恵みを主客ともに分かち合う気持ちの中から、おたがいのさりげない気遣いが生かされてくるものです。
花は野の花のように生け、
茶花は自然にあるがままを茶室に移し生けます。生け花とは違い、ことさらに技巧は加えません。野にあるように、というのは、山野一面の花をそのまま花入れに放り込むことではなく、一輪の花であってもその花が自然から与えられている全盛名を生けるという心が大切です。花の持つ命を十分に生かしつつ、茶の湯での位置づけに心配りましょう。
刻限は早めに、
約束の時間を守ることは当然ですが、なかなかに難しいものです。決められた時間に遅れないために、なにごとも早めにすることを心がけましょう。早め早めに行動すると、それだけゆとりができ、心に余裕が生まれます。時間はなにものにも代えがたく貴重なものです。時間を尊重すること、すなわち自分の時間を大切にし、余裕を持つことで相手の時間も大切にできる。そうして大切な時間を合わせてなされる一期一会を大切に尊重することが、茶の湯の基本です。必要以上に早すぎても失礼になりますが、遅刻はもってのほか。他人の時間を自分の責任で空費させることだと厳に戒めましょう。点前作法の中でも、大切な瞬間を意識するように教えています。
降らずとも雨の用意、
今は天気であっても傘雨具の用意はしておくようにということ。それは傘に限らず、いついかなる場合でも適切に応じられるだけの心構えを持ち、また実際の準備を怠らないことです。そうすれば、どんなときにも慌てず、心のゆとりを持って対応できるでしょう。落ち着いて臨機応変の処置ができるものです。
茶の湯においては、ことのほかはじめの準備と後始末について厳しく注意します。点前作法はこれ以上簡素化できないほど洗練されたもので、忠実に点前を習うことから稽古がはじまります。まずはそのための準備であり後始末であるのですが、修練を積むことによって自信が生まれ、ゆとりを持って何事にも自然な心で用意ができる。そうなることを目指しているのです。
相客に心せよ
お茶を介して同席するお客様への心遣いのことです。亭主から客だけでなく、正客は次客の、連客はお詰の、それぞれの立場を考えて動作することが大切です。そうして初めて和やかな茶席の雰囲気が醸成されていくのです。お互いの心の動きを察し、相手に迷惑をかけず、恥をかかさぬようにいたわる心が自然に発揮される場は、とても心地よいものです。例えば茶事において、亭主はまず連客を付記して案内をだします。その返事の仕方、連客同士の打ち合わせなど、主側の配慮はもちろん、客から主へ、客同士の心遣いも忘れずにしたいものです。まさに「仕え合う」ことの実践なのです。
長きにわたり同じ場所で接客をしていますと、自分が気がつかない範囲で惰性が生まれていたりするかもしれません。今後も常に程よい緊張感や、僕が今後も目指しているもてなしの極意「四規七則」を心に持ち続けて実践していく決意でございます。
9年目のCloud9を宜しくお願いいたします。
Cocktailsalon Cloud9
代表 工藤太一
四規七則
「茶道裏千家淡交会 会員のしおり」より抜粋
七則はある人が利休居士に「茶の湯の極意を教えて欲しい」と尋ねたのに答えたものだそうです。ところが、その答えが当たり前のことすぎたので「そんなことは誰でも知っています」というと、利休居士は「この心に適う茶ができるのであれば、あなたの弟子になりましょう」と言われたそうです。
四規
和敬清寂
七則
茶は服のよきように点て、
炭は湯に沸くように置き、
冬は暖に夏は涼しく、
花は野の花のように生け、
刻限は早めに、
降らずとも雨の用意、
相客に心せよ
和
茶には「和」という根本理念が流れています。それは、茶人たるものは腹を立てないとか、仲良くするべきだとかいった表面的なことのみならず、己の心の和、道具の取り合わせの和、席中相客の和が合わさってこそ、心の乱れのない点前ができるのです。かつて聖徳太子の十七条憲法の冒頭において「和を以て貴しとなす」と唱えられています。また、人の心の和とは禅の悟りの境地を表すものでしょう。この普遍なる価値を有する和は、茶の修道においても、主客、師弟のそれぞれの立場で真に求められるものです。
敬
人を敬い、自らを慎むこと。お互いが慎みあい、敬い合うことがなければ、どんな茶事や茶会でも自己満足で終わってしまいます。また、道具への敬の念、弟子から師へだけでなく師から弟子への敬の念、仕え合いながら自然に「敬」の心を育んでいきたいものです。上へへつらうことなく、下には丁重に接することで、敬し敬される関係が生まれるのです。
清
清らかであること。例えば、茶室に入る前には、必ず手水鉢で手を洗い口を漱ぎますが、それは単に目に見える汚れを洗い流すばかりではなく、手水の水には心身を清めるという意味が込められているのです。また、神社へ参拝する前に手水を使うことからも、手水で清めるほどの神聖な場としての茶室という位置づけが示されているといえます。日々の掃除を怠らず、身体を洗い清めるということは、同時に内からも清めているのだという気持ちを大切にしましょう。
寂
寂、すなわち静かでなにものにも乱されることがない不動心を表しています。客は静かに心を落ち着けて席入りし、床の前に進む。軸を拝見しそこに書かれた語によって心を静め、香をかぎ花を愛で、釜の松風を聴く。そして感謝を込めてお茶をいただく。こうした茶の実践を積み重ねていくことによって自然の中にとけ込み自然を見つめ、自分をも深く見つめることができます。まさに自然と同化することによって寂の心境に至るのです。心に不動の精神を持っていれば、どんなことにもゆとりを持ってやっていけるという心の大きさが生まれます。そうしたゆとりの中にこそ、茶の道が奥深く開けてゆくことでしょう。
茶は服のよきよう点て、
「服のよき」とは差し上げる相手が飲みやすいように、適度な湯加減と茶の分量でお茶を点てるということです。熱すぎてもぬるすぎても不味くなってしまいます。形通りに点てても心がこもっていなければ何にもなりません。亭主は心意気を込めてお茶を点て、客はその心を感謝して服す。そういった主客の直心の交わりがあって初めて本当の意味での「服のよき」お茶が供されるのです。
炭は湯の沸くように置き、
炭手前は茶の湯で大事な手前です。炭は押さえつけられず風通しよく組み、灰形を整える。一連の手前を炉では近くににじり寄って拝見します。茶を点てる湯は沸騰させればよいのではなく。自ずから適切な温度があります。釜の湯の沸くしゅんしゅんという音を聞き点前にかなった湯の熱さ加減を知ること。茶の湯の基本は文字通り湯相と火相にあり、時・時間に応じてそのバランスを取り、美味しいお茶を点てることに全神経を集中したいものです。
冬は暖に夏は涼しく、
冬は暖かく夏は涼しく過ごしたいと思うのは誰しもです。けれども茶の湯においては、現代の空調設備を駆使して人工的に快適にすることとは自ずから意味合いが異なります。「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにも暖かなるように」という、「いかにも~ように」という心映えを生かした工夫が求められるところです。茶事も夏なら朝の涼しい内に催し、茶室の中、露地、道具の取り合わせに様々な配慮がなされます。自然に対抗するというより、自然に融和し、四規の移ろいの偉大な恵みを主客ともに分かち合う気持ちの中から、おたがいのさりげない気遣いが生かされてくるものです。
花は野の花のように生け、
茶花は自然にあるがままを茶室に移し生けます。生け花とは違い、ことさらに技巧は加えません。野にあるように、というのは、山野一面の花をそのまま花入れに放り込むことではなく、一輪の花であってもその花が自然から与えられている全盛名を生けるという心が大切です。花の持つ命を十分に生かしつつ、茶の湯での位置づけに心配りましょう。
刻限は早めに、
約束の時間を守ることは当然ですが、なかなかに難しいものです。決められた時間に遅れないために、なにごとも早めにすることを心がけましょう。早め早めに行動すると、それだけゆとりができ、心に余裕が生まれます。時間はなにものにも代えがたく貴重なものです。時間を尊重すること、すなわち自分の時間を大切にし、余裕を持つことで相手の時間も大切にできる。そうして大切な時間を合わせてなされる一期一会を大切に尊重することが、茶の湯の基本です。必要以上に早すぎても失礼になりますが、遅刻はもってのほか。他人の時間を自分の責任で空費させることだと厳に戒めましょう。点前作法の中でも、大切な瞬間を意識するように教えています。
降らずとも雨の用意、
今は天気であっても傘雨具の用意はしておくようにということ。それは傘に限らず、いついかなる場合でも適切に応じられるだけの心構えを持ち、また実際の準備を怠らないことです。そうすれば、どんなときにも慌てず、心のゆとりを持って対応できるでしょう。落ち着いて臨機応変の処置ができるものです。
茶の湯においては、ことのほかはじめの準備と後始末について厳しく注意します。点前作法はこれ以上簡素化できないほど洗練されたもので、忠実に点前を習うことから稽古がはじまります。まずはそのための準備であり後始末であるのですが、修練を積むことによって自信が生まれ、ゆとりを持って何事にも自然な心で用意ができる。そうなることを目指しているのです。
相客に心せよ
お茶を介して同席するお客様への心遣いのことです。亭主から客だけでなく、正客は次客の、連客はお詰の、それぞれの立場を考えて動作することが大切です。そうして初めて和やかな茶席の雰囲気が醸成されていくのです。お互いの心の動きを察し、相手に迷惑をかけず、恥をかかさぬようにいたわる心が自然に発揮される場は、とても心地よいものです。例えば茶事において、亭主はまず連客を付記して案内をだします。その返事の仕方、連客同士の打ち合わせなど、主側の配慮はもちろん、客から主へ、客同士の心遣いも忘れずにしたいものです。まさに「仕え合う」ことの実践なのです。