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ご連絡 R01.08.03

 

訃報です。

7月12日に岡田英明さんが亡くなりました。

岡田さんは千葉大付属中の出身で、卒業時はC組。

東京大学文科一類に進まれ、卒業後は日本アイビーエム株式会社に入社、人事部門で活躍されました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

お悔やみ、思い出話、を頂いています。

 

ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 矢作昌範(C) 須貝克己(C) 上野毅(C)

 

ご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

 

 鈴木猛(H) 最首素幸(F) 佐々木俊久(F)

 

ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

 

 三宅章郎(H) 中村健蔵(C) 梅原雅俊(A)

 

 

岡田君の思い出       荒川雅臣(F)

 

岡田英明(ひではる)さんとは1年C組 萩原時哉先生のクラスで一緒でした。

当時からダンディな男で 7・3に分けた長髪をポマードでピシッと固めた少年でした。

彼の当時の実家が市川の浦安寄り 稲荷木にあったのですが これが 「いなりぎ」ではなく「とうかぎ」と読むことを知ったのは彼がいたからでした。

東京下町の高級ベッドタウンであった市川にも 市川弁方言があって 「棒切れ」のことを「ぼっか」と言うのも彼との会話から知りました。 私は対岸の小岩に住んでおり 東京23区内であるにもかかわらず 川向こうの市川連中に「小岩の貧民窟でも最近は鮭缶を食うそうだ」などとバカにされておりました。 もっともこの言は小岩を異常に敵視していた英語の池田先生のパクリでした。 風説では 小岩の美女に惚れた池田先生がこの上なく手厳しく振られたことが原因ということになってました。 横道に逸れました。 

彼はC組 秀才グループでも常に上位におりました。1年入学すぐにクラスメートの陰謀で生徒会役員に担ぎ出されましたが 立派にその役目を果たし 実力テストでは常に壁に名前が張り出されるというスーパー少年でした。 ご冥福を祈ります。

 

 

岡田君の思い出       片桐徳三(G)

 

岡田君とはクラスが違うので、高校時代面識はなかった。

名前だけは、成績優秀な人ということで知っていた。

それなのに何故か、卒業間際に、駅ビルの不二家で、荒川雅臣君と3人でお茶を飲んで話し込んだ記憶がある。

文一合格が決まっていた彼は「外交官になるんだ」と張り切っていた。

 

大学を卒業して就職したら、岡田君が同じ会社にいると知った。

あれ?外交官になるのじゃなかったのかよ。

海外の女性を手当たり次第に・・・の予定だったのでは?

あ、これは彼の言葉ではなく、「外交官はもてるから、海外で・・・」という荒川君の妄想だったか?

彼は人事、私は営業、在職中には全く係わり合う事はなかった。

 

最近、彼が同期会に顔を出すようになって、昔話に花が咲いた。

その昔、会社の営業部門は産業業種別に7つほどに別れていたが、彼は約50年前の各営業部の部長の名前を正確に覚えていた。

さすがに頭が良い。

人事の側からの、私の周囲の人の話を、もっとたくさん聞きたかったので、いつかまた会いたいと思っていたのだが・・・。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

(コメント欄より)

 

無題            小池善明 (C)

岡田君の訃報、お悔やみ申し上げます。同期で一番長生きする健康優良児と思ってたのに。
彼とは一緒に高校卒業旅行に行って、帰りに大学の合格発表日なので大丈夫だけどついでに見て行こう、と言ったら先に帰るといったのでそのまま別れたら、後で僕から連絡ないので落ちたと思って布団かぶって寝てたとか、まさかそんなに心配してたとは思わなかった、ごめんなさい。