今日という日【6月20】
■明治東京地震
1894年6月20日。
14時04分、東京湾北部を震源とした地震が発生した。
この地震により死者31人、負傷者157人を出した。建物の被害は煉瓦建造物の被害が多く、また煙突の損壊が目立った。隅田川及び荒川流域及び埼玉県の元荒川などで液状化現象が記録されている。
「樋口 一葉」の「水の上日記」に、この地震の被害が聞き書きの形で紹介されている。それによると、四谷の松平家では床の間の壁が崩落、土蔵の腰巻が崩れるという被害があったという。また三田のほうでは液状化現象が発生し、噴砂があったという。また、地震同日22時頃に余震があったとも記録されている。
地震の規模はM7.0、震源の深さは約50~80kmと推定されている。南関東直下地震の一つ。

1894年6月20日。
14時04分、東京湾北部を震源とした地震が発生した。
この地震により死者31人、負傷者157人を出した。建物の被害は煉瓦建造物の被害が多く、また煙突の損壊が目立った。隅田川及び荒川流域及び埼玉県の元荒川などで液状化現象が記録されている。
「樋口 一葉」の「水の上日記」に、この地震の被害が聞き書きの形で紹介されている。それによると、四谷の松平家では床の間の壁が崩落、土蔵の腰巻が崩れるという被害があったという。また三田のほうでは液状化現象が発生し、噴砂があったという。また、地震同日22時頃に余震があったとも記録されている。
地震の規模はM7.0、震源の深さは約50~80kmと推定されている。南関東直下地震の一つ。
今日という日【6月19日】
■ベトちゃんドクちゃんの手術
1986年6月19日。
「ベトちゃんドクちゃん」は、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた兄「グエン・ベト」、弟「グエン・ドク」の双子の兄弟。「ベトちゃんドクちゃん」とは、二人の兄弟を指して80年代から90年代にかけて日本のマスコミなどで呼び習わされた愛称。二人が結合双生児となったのは、ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害の可能性があると報道された。特に日本ではベトナム戦争被害のシンボルとなり、様々な支援の手が寄せられた。
下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。
1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送。同年6月19日、東京の病院で手術が行われた。が、後遺症が残った。
1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成して、17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。

1986年6月19日。
「ベトちゃんドクちゃん」は、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた兄「グエン・ベト」、弟「グエン・ドク」の双子の兄弟。「ベトちゃんドクちゃん」とは、二人の兄弟を指して80年代から90年代にかけて日本のマスコミなどで呼び習わされた愛称。二人が結合双生児となったのは、ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害の可能性があると報道された。特に日本ではベトナム戦争被害のシンボルとなり、様々な支援の手が寄せられた。
下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。
1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送。同年6月19日、東京の病院で手術が行われた。が、後遺症が残った。
1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成して、17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。