2020年、初めてYouTubeのアプリをインストールした。
経緯はわからないがSixTONESに辿り着いた。楽曲がおしゃれでみんな歌が上手くてYouTubeの企画はお笑い番組を真顔で見るわたしが笑ってしまうほど面白かった。
これが始まり。
このはじまりからTravis Japanに、如恵留くんにハマることになるなんて思ってもみなかった。
2020年11月SixTONESのYouTubeの動画を見漁った。どれも楽しかったけど担当が決まらないままだった。アイドルというより歌手としてのSixTONESが、グループとして好きだった。
YouTubeを見ていると、度々コラボをしているグループがいた。その中の一人、名前もわからないのになぜかいつも目を引く人がいた。それでも興味は持たなかった。
とあるYouTubeの終わりに樹くんが「Travis Japanは弟みたいな感じで活動させて頂いているから」といった発言をされていたので、SixTONESの弟分なら…Travis JapanのYouTubeを見るようになったのが12月の下旬ごろだった。その頃からジャニウェブもTravis Japanのものも読むようになった。
顔と名前が一致していないままブログを読んでも正直楽しさなんてなかった。
それでも、言葉の遣い方が目に留まる人がいた。それが川島如恵留という人だった。
YouTubeを見返して、ブログの人と目を引いていた人が同一人物だという事に気づいたのが12月の末頃だったと思う。そこからはSixTONESとTravis Japanの過去の動画をたくさん見た。
どんどん如恵留くんに惹かれていくような気がした。
決定的になったのは2021年、1月14日 のえまる定期更新だった。
あぁ、この人が好きだ。好きでいたい。この人だけにしようと決意するに値する文だった。
如恵留くんの容姿がわたしのタイプというわけではないのになぜこんなにも惹かれて仕方がないんだろうと当時から不思議だった。正直、それは今でも変わらない。
それでも惹かれてやまない何かがあった。
自分の考えを文字に起こすことでまとめることが好きなわたしだったからなのかもしれないと今になって思う。
こんなに言葉の遣い方、伝え方、選び方が好きだと思ったのは如恵留くんがはじめてだった。
ジャニーズの推し方には掛け持ちというものがある。わたしもそうなるのかと思った。
結果的に言えば、そうはならなかった。
SixTONESの時にはあれほど躊躇ったファミリークラブへの入会をすぐに行った。
思えば、わたしのSixTONESへの気持ちはあくまでも茶の間程度で深い愛は無かったのだと思う。
手に入れていたSixTONESのCDやDVDをすぐに手離した。
わたしにはもう必要のないもののように思った。
2021年4月末
北海道公演の日、トラジャ担がきっと一生忘れられない日になったと思う。
メンバー6人とマネージャーさんの新型コロナ感染によりギリギリでの公演中止の発表。
公演2時間前を切っての発表だった。
現場に向かっていたファンはどれほど苦しい思いをしただろう。
今思い出しても苦い気持ちが蘇ってくる。
如恵留くんは検査の結果、陰性との発表だった。
それでもなにひとつ安心はできなかった。いつ陽性に転じてしまうかわからないという不安がわたしを襲った。
誰ひとりブログを更新しない日々が続いた。
わたしはひたすら泣いていた。仕事をしていないタイミングだったこともあり、ごはんもまともに食べることができず、眠れない日々が続いた。。
Travis Japanが活動をお休みしている2週間で4kg減ってしまうくらいには心がすり減っていた。
それでも、寂しさはなかった。
メンバーがたくさん頑張っていてくれたおかげで、テレビや雑誌、リマインド動画などで毎日供給があった。
とてもすごいことだと思った。
急に訪れた療養の期間、デビューしているわけでもないjr.のグループをテレビで見ることができるというのは、彼らがこれまでに積み重ねてきた努力だと思った。
ストーリーの隠し文字もあったね。
トラジャ担を想ってメッセージを送ってくれたのは、ほんとにほんとにうれしかった。
ツイッターでトレンド入りするくらいだったね。
覚えてる?
あの隠し文字についてどこでも言及がなかったから、だれが書いたのか、みんなで相談して決めたのかなにもわからないままだけど今からでもそのお話を聞きたいくらいだよ。
2021年7月
賛成コンの振り替えがありましたね。
北海道での公演が、Travis Japanとトラジャ担にとってつらい思い出のままにならなくてよかったと心から安心しました。
7月16日
わたしが初めてTravis Japanのライブを見た日。
配信という形ではあったけど、とてもとても楽しみにしていたの。
自宅のテレビで見ているのに、緊張しちゃって座っていられなくてクッションを抱きしめながらうろうろ歩き回っていたことを覚えています。
如恵留くんのinnocentの国、とても美しかった。
のえ担の中では「Rolling days」が好きな派閥と「STAY」が好きな派閥に分かれると友達が言っていたけれど、対極にあるかのようなあの2曲を対極の演出でinnocentの国に収める如恵留くんが好きだと思った。
美しさってひとつじゃない、本当にその通りだね。
それを体現するかのようなアイドルのあなたが好きだよ。
8月23日 虎者当落発表
叫んだし、泣いた。
初めて申し込みをしたその公演がまさか第一希望で当選するなんて思ってもみなかった。
気持ちとしては、申し込みの手順が分かればいいな、くらいの気持ちでいたから本当にびっくりしたんだよ。
電車も新幹線も乗ったことがなかったからひとり旅は不安だったけど、それ以上に楽しみって気持ちのほうが強くてその日までいろんなことがあったけど全部虎者があるしって乗り越えることができた。
推しがいるってこんなにも生きていくのが楽しくなるんだって感動した。
2021年11月22日
如恵留くんの27歳のお誕生日。
わたしは如恵留くんよりひとつ年上だけど、誕生日がまだだったから、1カ月も無い同い年期間が純粋にうれしかった。
せっかく同い年だから呼び捨てにしてみたいなって思ったりもしたけど恥ずかしくてできなかったな。
2021年12月11日
虎者NINJAPAN18時公演 緊張しすぎて始まる前から震えていた。
わたしが当たった席は、舞台から近くて目視で如恵留くんが見えるほどでした。お友達と席は離れていたからひとりでいるのは不安だったけど開幕後は如恵留くんしか目に入らなくてそんなことどうでもよくなった。
生で如恵留くんを見て「ほうんとうに実在したんだ」っていう気持ちになった。
どこかフィクションのような、次元が違うような存在として見ていたから目の前での演技やアクロバットを見て、生きてる!と涙があふれてきたことを忘れられません。
メモにレポを走り書きしたけどほんとに実在したって書いてあって今見返しても笑えちゃう。
公演が終わって友達とホテルまで帰るときわたしは珍しく高揚してしまっていてとてもよく喋っていたと思う。
その日ずーっと言っていた言葉、「わたし一生如恵留くんだけにする、如恵留くんしかいらない、如恵留くんしか見えない」この言葉に嘘偽りないんだよ。
如恵留くんだけがいいって思って如恵留くんだけにするって自分に誓った日は間違いなく2021年12月11日です。
この言葉を10年後も言っている事でしょう。
そこから穏やかな日々を過ごしていたけどある日突然地獄に落ちたのかと錯覚する衝撃的な発表がありましたね。
2022年3月3日 21時
インスタライブ
アーカイブを残さないと前もって報告があったからトラジャ担は何の発表だろう、アリツとかかな?!ってとてもわくわくしていたんだけどね。
突然のロサンゼルスへの留学発表
ちゃかちゃんの帰ってくる予定はありませんという言葉で頭が真っ白になった。
それからはほんとにみんなの話す言葉が雑音というか、BGMみたいになって全く頭に入ってこなかった。涙も出なかった。
意味が分からない、待って誰の何の話をしているのって聞きたいのに相手はアイドル。
わたしの言葉は届かない。
1時間のインスタライブが終わった。
楽しみにしていた発表はわたしたちにとって楽しいものではなかった。
インスタライブが終わってやっと現実を理解して涙が出た。
如恵留くん、わたし今取り残されています
わたしがツイッターに綴った言葉。
本当にそう思った。意味が分からなかった。タイミングも、発表の仕方も、期限がないことも何もかもが到底理解できるようなものではなかった。
全ての動画で如恵留くんしか目に入らないわたしが唯一如恵留くんを直視できなかったインスタライブ。
あれは本当に現実だったのだろうかと、ツイッターを開いた。
その日のツイッターはまるで地獄絵図だった。
いくつも開かれているトラジャ担同士のスペース、悲痛なツイート…
待つ自信ない、降りるかもと落ち込んでいる人もいれば意味が分からないと怒っている人もいた。
トラジャ担って、基本的に穏やかな人が多いように思う。
だからこそあの日の地獄絵図のような光景の衝撃は相当なものだった。
みんな泣いていた。
誰かに、何かに縋っていないと立っていられないのではないかと思うほどみんな苦しんでいた。
わたしもひとりでいるのは苦しくて仲の良い友達のスペースを開いた。
それでも、聞いていられなかった。みんなの悲痛な叫びを。すぐにスペースを閉じた。
私自身他人の声を聞く余裕なんて微塵もなかった。
ひたすら泣いていた。22時から朝の4時まで泣き通しだった。
気づいたらソファで寝落ちしていたみたいだった。
寝起きすぐ何を見るわけでもないのにまた涙が溢れた。
何をしても元気が出ない、声が出ない、食欲がない。表情すら作れない。
なみだって枯れることはないのかと疑問に思い調べるほど泣いた。
物理的に涙が枯れるという事はないと知り絶望した。
わたしはあとどれくらい泣けばいいのだろう、と。
その日は、トラジャ担の友達二人と少し話をした。
人間ってすごい。人と話している間は多少の理性は保てる。狂ったように泣いていたわたしも少しばかり冷静でいられた。
それでも、一人になれば泣いてしまう。
あれからまだ1週間も経っていない。もう1ヶ月くらい前のことかのように感じる。
泣かない日はない。
それでもわたしという人間は、かわいくない性格をしていて平気なふりをしてしまう。
昔からそうだった。平気な顔でもう大丈夫だよと言えてしまう。
ツイッターで弱音を吐いてもそのあとすぐに泣いてすっきりしたもう平気と噓をついてしまう。
今日は3月8日。あれから5日が経った。
みんな少し立ち直ってきているのかもしれないと思うとツイッターに弱音をつぶやくことも憚られる。
苦しいのもつらいのも寂しいのも不安なのもみんな同じだ。
わたしのツイートで落ち着きを取り戻していた人たちにまたこんな気持ちを持ってほしくないと思う。
偽善だろうか。それでもいいとすら思う。
数日の間だけでもツイッターを離れようと思った。
我慢をしていい子になってしまうわたしは傷を引きずりやすいからここですべて吐き出してみたくなった。
自分の想いを語源化して可視化することによって脳内がすっきりすると思ったから。
ここまで書いてきてまだいい子でいようとする自分に嫌気すら覚える。
でもやはりいい子でいたい。
推しにとって自慢のファンでありたいから。
落ち着きを取り戻したころにふと思った。
Travis Japanのみんなに謝りたい。
わたしたちがたくさんの期待をしていること、デビューやアリーナツアーの発表ではないかと勘繰っていたこと、このSNS時代に耳に、目に入らないわけがない。
きっとすべてわかった上であの日の発表だったのだ。
ファンが手放しで喜べることではないことを私たちの期待を知った上で発表するのはどれほど重く苦しいことであったのだろう。
3月4日ののえまるでとっても緊張したんだよ!と如恵留くんが言っているのを目の当たりにしてハッとした。
ファンの声が届きやすい時代、良いことも悪いこともあるのだと改めて痛感した。
目に届く場所では綺麗事だとしてもお綺麗な言葉を並べていようと思った。
結局、如恵留くんを想う気持ちはなにも変わらないのです。
発表があった時点で私の気持ちは決まっていた。
それでも駄々をこねてみたかったのかもしれない。
ねえ、如恵留くん。
綺麗事ばかりじゃ生きていけないって泣いちゃうわたしたちトラジャ担の心も守ってくれたらうれしい。
5、60年と誓ったわたしたちだけど寂しいものは寂しいし、会いたいのよ。
だからお互いを想って歩んでいけたらと思う。
いってらっしゃいも応援してるよも言えないけどいつもでも待ってるよ。
I wanna be there for you!!
貴方がそう言ってくれたから、いつもまっすぐな気持ちをわたしたちにくれるから、のえ担としてまた会える日まで待ってるね。
Yors ever
March 8th,2022