人間って何なのだろう?
人間とは何か?について考えてみました。
子供の頃、大好きだった仮面ライダー。
さて、仮面ライダーは人間なのでしょうか?それとも別の存在なのでしょうか?
仮面ライダーは、元々は、本郷猛という名の人間でした。
しかし、ショッカーの手によって改造人間、仮面ライダーとなりました。
では、改造人間とは何なのでしょう?
生物的には、人間ではないのでしょうか?
本郷猛が改造手術を受けているシーンだけから判断すると、胸のあたりが機械じかけになってはいるけれど、確か脳の部分は何もしていなかったように記憶しています。
ただ、あのようにパワーを持っているという事は身体の骨、筋肉は強化されたり機械化されているものと想像できます。内蔵も人工内蔵を用いている可能性は高いです。
さて、では改造人間は、人間ではないのでしょうか?
だとしたら、ロボットなのでしょうか?
いや、ロボットとは異なると考えていいでしょう。
なぜなら改造人間は、もともと人間をベースにして機械で強化したものだからです。ロボットは、最初から機械であり無機質な存在です。
さて、ここでちょっと角度を変えて考えてみます。
もし、病気や疾患、事故によって、肉体または臓器を破損してしまい、義手や義足、または人工臓器を体内にいれたとき、その時点で人間は、改造人間という扱いになるのでしょうか?
今の時代、そういう人は大勢いるけれど、誰も彼らを改造人間だなどとは考えないですよね。
肉体の一部、内蔵を人工のものに置き換えたとしても、それで人間でなくなるわけではありません。
でも、それはどうしてでしょう?
「それは見た目が人間だし、たとえ義手であったとしても身体の大部分が生身の人間だから」という意見もあるでしょう。
では、もし肉体の60%を人工のものと置き換えたらどうでしょう?
それでも人間だというなら、70%ではどうでしょう?80%では?、95%では?
おそらくは、肉体や臓器を機械や人工的なものに置き換えても、人間である事には変わりないでしょう。
では、顔の部分はどうでしょうね?
顔の整形をして、皮膚の下はオリジナルの骨ではなく、強化プラスチックとかを使って顔形を整えていたとしたらどうでしょう?
・・・・・・・・・・・・・
それでもやはり人間であることに変わりないと思われることでしょう。
では、皮膚を取り除いて、強化プラスチックがむき出しになった顔であったらどうでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・
見た目は、奇異ではあるけれど、やはり人間であると答えるでしょう。
それは、なぜか?
それは、元々が人間であり、それは見た目が変わり、肉体を人工的なものに変えてもその事実が変わるものではないと考えるからだと思います。
その証拠に、考え方も記憶も知能も元々の人間のままだし、アイデンティティは普遍だから。
では、脳をコンピュータに置き換えてはどうでしょうか?
未来には、そういうことができるかもしれません。脳全部を置き換えなくても大部分を置き換えることは可能になる事でしょう。
脳をコンピュータに換えたとしても、まだ、わたしたちは人間と認めるでしょうか?
これは、ちょっと考えるのではないでしょうかね。
その人の思考パターン、過去の記憶のすべてをコンピュータに入力していたとします。
見た目はまったく以前と変わらず、しかも考え方もその人の人生の歩みをすべて記憶しているわけです。
このとき、あなたは、人間としてみますか?
「脳が、コンピュータであれば、それはもはや人間ではない」と思うでしょうか?
人間とは、やはり意志をもって考える存在であるし、それらは脳が司っていると考えられる。
つまり、人間は、人間の脳をもって、人間らしく考え、人間としての記憶をもち、自由意志によって行動するものだと。
では、人間が人間であるのは、人間の脳を持っているからなのでしょうか?
もしそうだとしたら、仮に、人間の脳をゴリラに移植したらどうでしょう?
人間の脳を移植されたゴリラは、人間なのでしょうか?
「いえいえ、人間は肉体でもなければ脳でもありません。魂(スピリット)の存在なんです」という方もいらっしゃるかもしれません。
では、そのスピリットが、人間以外の生物に宿ったら、その生物は人間なのでしょうか?
なかなか答えが見つかりません。
(この続きは次回の記事で)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
子供の頃、大好きだった仮面ライダー。
さて、仮面ライダーは人間なのでしょうか?それとも別の存在なのでしょうか?
仮面ライダーは、元々は、本郷猛という名の人間でした。
しかし、ショッカーの手によって改造人間、仮面ライダーとなりました。
では、改造人間とは何なのでしょう?
生物的には、人間ではないのでしょうか?
本郷猛が改造手術を受けているシーンだけから判断すると、胸のあたりが機械じかけになってはいるけれど、確か脳の部分は何もしていなかったように記憶しています。
ただ、あのようにパワーを持っているという事は身体の骨、筋肉は強化されたり機械化されているものと想像できます。内蔵も人工内蔵を用いている可能性は高いです。
さて、では改造人間は、人間ではないのでしょうか?
だとしたら、ロボットなのでしょうか?
いや、ロボットとは異なると考えていいでしょう。
なぜなら改造人間は、もともと人間をベースにして機械で強化したものだからです。ロボットは、最初から機械であり無機質な存在です。
さて、ここでちょっと角度を変えて考えてみます。
もし、病気や疾患、事故によって、肉体または臓器を破損してしまい、義手や義足、または人工臓器を体内にいれたとき、その時点で人間は、改造人間という扱いになるのでしょうか?
今の時代、そういう人は大勢いるけれど、誰も彼らを改造人間だなどとは考えないですよね。
肉体の一部、内蔵を人工のものに置き換えたとしても、それで人間でなくなるわけではありません。
でも、それはどうしてでしょう?
「それは見た目が人間だし、たとえ義手であったとしても身体の大部分が生身の人間だから」という意見もあるでしょう。
では、もし肉体の60%を人工のものと置き換えたらどうでしょう?
それでも人間だというなら、70%ではどうでしょう?80%では?、95%では?
おそらくは、肉体や臓器を機械や人工的なものに置き換えても、人間である事には変わりないでしょう。
では、顔の部分はどうでしょうね?
顔の整形をして、皮膚の下はオリジナルの骨ではなく、強化プラスチックとかを使って顔形を整えていたとしたらどうでしょう?
・・・・・・・・・・・・・
それでもやはり人間であることに変わりないと思われることでしょう。
では、皮膚を取り除いて、強化プラスチックがむき出しになった顔であったらどうでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・
見た目は、奇異ではあるけれど、やはり人間であると答えるでしょう。
それは、なぜか?
それは、元々が人間であり、それは見た目が変わり、肉体を人工的なものに変えてもその事実が変わるものではないと考えるからだと思います。
その証拠に、考え方も記憶も知能も元々の人間のままだし、アイデンティティは普遍だから。
では、脳をコンピュータに置き換えてはどうでしょうか?
未来には、そういうことができるかもしれません。脳全部を置き換えなくても大部分を置き換えることは可能になる事でしょう。
脳をコンピュータに換えたとしても、まだ、わたしたちは人間と認めるでしょうか?
これは、ちょっと考えるのではないでしょうかね。
その人の思考パターン、過去の記憶のすべてをコンピュータに入力していたとします。
見た目はまったく以前と変わらず、しかも考え方もその人の人生の歩みをすべて記憶しているわけです。
このとき、あなたは、人間としてみますか?
「脳が、コンピュータであれば、それはもはや人間ではない」と思うでしょうか?
人間とは、やはり意志をもって考える存在であるし、それらは脳が司っていると考えられる。
つまり、人間は、人間の脳をもって、人間らしく考え、人間としての記憶をもち、自由意志によって行動するものだと。
では、人間が人間であるのは、人間の脳を持っているからなのでしょうか?
もしそうだとしたら、仮に、人間の脳をゴリラに移植したらどうでしょう?
人間の脳を移植されたゴリラは、人間なのでしょうか?
「いえいえ、人間は肉体でもなければ脳でもありません。魂(スピリット)の存在なんです」という方もいらっしゃるかもしれません。
では、そのスピリットが、人間以外の生物に宿ったら、その生物は人間なのでしょうか?
なかなか答えが見つかりません。
(この続きは次回の記事で)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ご挨拶
岩元貴久です。
アメブロのブログを始めることにしました。
今年のわたしのテーマは「好奇心」と「縁」。
そこで、今まで氣になっていながらもやっていなかったことに取り組む。そして、新たな人、情報、出来事との出会いを体験しようと思っています。
アメブロは、その1つ。
これから、このアメブロに日々の中での発見=氣づきを記録していこうと思います。
よろしくお願いします。
アメブロのブログを始めることにしました。
今年のわたしのテーマは「好奇心」と「縁」。
そこで、今まで氣になっていながらもやっていなかったことに取り組む。そして、新たな人、情報、出来事との出会いを体験しようと思っています。
アメブロは、その1つ。
これから、このアメブロに日々の中での発見=氣づきを記録していこうと思います。
よろしくお願いします。