山口百惠

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谷は総て平坦で、全面に平たい瓦が敷き詰めてある。懐中時計此平地の外囲に円形をなして六十軒の家が立ててある。それだから家は皆丘陵を負うて、平地の中央に臨んでゐる。その中央の地点までの距離は、どの家の戸口から測つても六十呎(フイイト)ある。どの家の前にも円形に道を附けた、小い菜園がある。そこに円い日時計が据ゑ附けてある。そして円いキヤベツが二十四本植ゑてある。家と家とは飽く迄似てゐて、何一つ相違してゐる点が無い。建築の様式は少し異様だが、併し画の様な面白みがある。堅く焼いた、小さい、赤い煉瓦の縁(へり)の黒いので建ててあるから、壁が丁度大きな象棋盤(しやうぎばん)のやうに見える。家の正面には搏風(はぶ)がある。屋根と表口の上とに、簷(のき)と庇とが出てゐるが、その広さが丁度家全体の広さ程ある。小さい、奥深い窓が細い格子で為切(しき)つてあつて、時計 人気中には締め切つてあるのも見える。屋根に葺いてある瓦には長い、反(は)ね返(かへ)つた耳が出てゐる。家に使つてある材木は皆暗い色をしてゐて、それに一様な彫刻がしてある。それは古来スピイスブルクの彫刻師が、時計とキヤベツとの二つしか彫刻しないからである。併しその二つは上手に彫る。どこでも材木の面が明いてゐれば、すぐにそこへ彫り附ける。
 家は外面が似てゐる様に、内部も似てゐる。道具は皆同じ雛形に依つて拵へたものである。床は四角な煉瓦を敷き詰めてある。卓や椅子は黒ずんだ木で拵へて、捩(よぢ)れた脚の下の方が細くしてある。壁に塗り籠めた大きい、丈の高い炉には時計とキヤベツとが彫つてある。炉の上の棚には、真ん中に本当の時計が一つ据ゑてあつて、それが断えず感心な好い音をさせてゐる。棚の両端には植木鉢が一つ宛置いてあつて、それにはキヤベツが生えてゐる。それからその時計と植木鉢との間には、きつと支那人の人形が一つ宛(づゝ)立つてゐる。ふくらんだ腹の真ん中に穴があつて、それを覗いて見ると、中には懐中時計の表面が見えてゐる。炉の火床は幅が広くて深い。それに恐ろしい五徳のやうな物が据ゑてある。そしてその上に壁に切り込んだ龕(がん)のやうな所から大きな鍋が吊り下げてあつて、中には一ぱい麦酒樽漬(ビイルだるづけ)にしたキヤベツと豚の肉とが入れてある。
 鍋にはお神さんが気を附けてゐる。お神さんは頬の赤い、目の青いをばさんで、あのカンヂスと云ふ白砂糖の包紙のやうな円錐形の大帽子を被つてゐる。帽子からは紫と黄色とに染めた紐が下がつてゐる。着物は橙(だい/\)のやうに黄いろい色の毛織で、背後(うしろ)がふくらんで丈が詰まつてゐる。全体此着物はひどく短い。脚の中程までしか届かない。脚は円つこい。踝(くるぶし)も同断である。その脚には綺麗な草色の沓足袋(くつたび)を穿いてゐる。沓は桃色の鞣革(なめしがは)で、それが黄いろい紐で締めてある。その締めた結玉がキヤベツの形になつてゐる。お神さんは左の手に小さい、重みのある懐中時計を持つて、右の手には大きい杓子を持つてゐる。その杓子で鍋の中のキヤベツと豚の肉とを掻き廻すのである。お神さんの傍には斑(まだら)の猫の太つたのがゐる。その尻つぽには子供がいたづらに金めつきの懐中時計を括り付けたので、猫はそれを引き摩つてゐる。
 子供が今例にして話してゐる家には三人ゐる。それが三人とも前の菜園で豚の番をしてゐる。三人とも丈は二呎で頭に三角帽子を被つてゐる。赤いチヨツキが太股の辺まで垂れてゐる。ずぼんは膝切りで、ブツクスキンと云ふ毛織で拵へてある。沓足袋は赤い毛糸で編んである。重さうな沓には大きい銀の金物が付いてゐる。上着は長くて、それに大きい貝殻ぼたんが付けてある。皆煙管を口に銜へて、右の手には胴を円くふくらませた懐中時計を持つてゐる。口から煙を吹いては時計を見、時計を見ては煙を吹く。それをいつまでも繰り返してゐるのである。豚は皆ひどく太つてゐて、不精である。キヤベツの葉の枯れて落ちたのを拾つて食つてゐる。矢張猫と同じやうに尻つぽには懐中時計が括り付けてあるので、折々後足でそれを蹴ることがある。
 家の戸口の右の方には、倚り掛かりの高い腕附の椅子がある。鞣革で張つた椅子で、脚は卓(つくゑ)と同じやうに捩れて下の方が細くなつてゐる。その椅子に腰を掛けてゐるのが主人である。頬つぺたの非常にふくらんだ爺いさんで、目は真ん円で、大きい腮(あご)が二重(ふたへ)になつてゐる。着物は子供のと全く同じ事だから、改めて説明しなくても好からう。只爺いさんの子供と違ふ所は、口に銜へてゐる煙管が少し大きいから、口から煙を余計に吹き出すことが出来る丈である。爺いさんも矢張懐中時計を持つてゐるが、それを隠しに入れてゐる丈が違つてゐる。これは別に大切な用事があるので、時計ばかり見てはゐられないのである。その用事がなんだと云ふことは直ぐに説明するから、待つてゐて貰ひたい。爺いさんはぢつとして据わつて、左の膝の上に右の膝を載せてゐる。そして真面目な顔をして、少くも片々(かた/\)の目で虚空の或る一点を睨んでゐる。その一点は議事堂の塔の上である。
 議事堂には市の評議員達がゐる。皆円く太つた、賢い小男達で、車輪のやうな目をして、大きい二重の腮を持つてゐる。上着は並の市民の着てゐるのより長い。沓の金物も市民のより太い。己がこの市に来て住むことになつてから、評議員達は二度特別会議を開いて、左の重大な決議をした。