これは、僕が16歳の誕生日にあったお話。

「サッカーで、日本一になりたい」
そんなことを夢描き…
僕は、地元の大阪を離れ
島根県へサッカー留学することを決意しました。

その判断に、親戚や近所の人からは
「親元を離れるなんて、すごい!」
と、よく言っていただきました。

しかし、それは見当違いで…

実は、ただ単にその当時の僕は
「親元を離れることの大変さ」や
「寮に入って、365日・24時間サッカー漬けの生活をおくること」の意味を深く考えていないだけ、でした。

その証拠に、「過酷なサッカーの練習」と
「慣れない寮の生活」をいざ目の当たりにした時
自分が何も考えず決断してしまったことに
誰よりも後悔したことを覚えています。

ちなみに、どんな生活だったかと言うと…

朝は、5時起き。
そこから、洗剤で炊いたようなニオイがする
マズ◯ご飯を死ぬほど食べさせられ1日がスタート
(もちろん、食べれた味ではないので、皆 食後は嘔◯します)

その後、先輩を起こしに。
流れは、先輩の肩をトントンと叩き
「◯◯先輩、朝です」だけ。
簡単そうですが、現実は違います。
部屋は真っ暗。
しかも、電気を付けることは御法度。
その上、なぜか「ドラえもん」のように
先輩方は、押し入れの中に入って寝ています。
(これは後々わかったのですが、3人部屋でも「押入れ」だとプライベート感あるので皆、そこで生活し始めるのです)
この状況下で、肩だけ叩き
起こすことは、超能力でもない限り不可能です。
もちろん、顔や腕、横腹などに触れてしまうと
夜に、厳しい指導が待っています。

私のキャラクターをご存知の方は、
想像つくと思いますが、皆さんの期待を裏切らず
私は顔を触ってしまう天才でした(笑)

ここから、朝練です。
死ぬほど走らされ、朝練が終わる頃には
身体はくたくた。
全身、肉離れの様な痛みがあり
練習後は、歩くだけでも激痛が走ります。

その後、学校の授業へ。
この時間が唯一、心休まる時間だったのですが
なぜか、運動部は午前中で授業終了(笑)
その後、さっさとグラウンドへ向かいます。

もちろん、また死ぬほど走らされます。
(午後練は、時間が長くさらにハードです)

練習後は、また洗剤飯を食べさせられ嘔◯。
そして、お風呂。
(お風呂も、なぜか一年生はシャワーを使えず… 
湯船のお湯で身体を洗わされていました笑)
その後、部員全員の食事の後片付けをし
一日終了。

と、思いきや…
先輩の顔を触って起こす天才だった僕は
先輩から呼び出しが待っていました。
厳しい指導、、(ここは、想像にお任せします)

こんな感じで、やっと1日が終了。
毎日、この繰り返しです。

今でこそ、笑いながら話せますが
当時は、過酷な練習と慣れない寮生活で
僕の心と身体は、ボロボロ。
辛い、しんどい、苦しい。そんな感情でいっぱいでした。
言葉で伝えることが難しいのですが、
「死にたい、かも。」とまで考えていました。
(きっと、病院に行くと病名がつけられたでしょう)

日に日に、心が病んでいった僕は
「とにかく、逃げ出したい。ここから離れたい」と考えるようになり、高校を辞める決意を固めようとしていました。

【次回予告】
僕が逃げ出さず、やり抜けた“方法”とは…

⚠公の場なので、少しだけ補足を。
私が高校を卒業して間もなく、ここに書いてあるような
寮生活は先生方に見つかり、すでに適切な改善がされています。
ないとは思いますが、屈折したようなご批判はご遠慮ください。