新しく年が明けて 昨年の1月に叔母が急逝して 早1年が経ちます

足の悪い母親に付き添って 毎年 母の故郷である 福山市ヘ出かけていました

昨年は とうとう 1度も行く事はなく

年が明けてしまいました


遡れば 6年前の1月に 同じ福山市に住む母の姉が 交通事故で亡くなった

毎年、母親を故郷ヘ連れて行くと この姉叔母と 妹叔母の3人で ご飯を食べたり

他愛もないおしゃべりしたり 自分たちの両親(私から見たら祖父母)のお墓参りに行ったり 姉妹仲睦まじく 過ごしていました

6年前の1月に 突然 そうあまりに突然

姉叔母の訃報が入って 年が明けて間もなく 母親を連れて訪れた

ちょうど 私の誕生日の日がお葬式になってしまって 悲しいお別れをしたのです


それからも、毎年姉叔母のお墓参りも 兼ねて 母親を福山ヘ連れて行き 妹叔母とつのる話をしていたものです

一昨年の春に 訪れた時に 妹叔母に脳神経の疾患が見つかり 四肢や記憶に障害が出はじめ 家の中で転倒したりすることが多くなったと 話していました

そんな妹叔母の事を 本当に心配していた母親でしたので その同じ年の秋に もう一度訪れました

ちょうど 行った日は 妹叔母はショートステイで 同市の施設に入っていました

伯父さんが言うには 春に私たちが訪れたすぐ後ぐらいから 全く歩くことが出来なくなり 週に3度デイサービスに通い始めたとの事

それで、今は週末だけ ショートステイで施設で介護してもらってると言う感じ

一昨年と言うと ちょうどコロナ禍で

施設などでは面会が厳しく制限されてる中

ダメ元で その施設を訪れました

事情を説明し 短時間ならと言う条件付きで 面会させてもらうことが出来て

妹叔母に会うことが出来たのでしたが 

あまりにも 変わり果てた姿に 言葉が出ませんでした

ふっくらした 顔で 目が大きく

ぽっちゃり体型だった人が 半年程で こんなに!って思うほど 痩せて 頬がこけて 目もくぼんで 髪の毛も真っ白に

でも、驚いたのは 外見だけじゃなくて

もう認知機能が無く 私たちが誰だって事も理解出来ず 自分の意志で話すことも 食べることも

わからなくなっていたんです

当然の事ながら 母親も私も かなりショックを受けました 

母親はかける言葉も無く ずっと 手を握りしめていただけでした 


話は戻りますが そんな妹叔母との対面から わずか2ヶ月後 母親がコロナでは無く間質性肺炎で救急搬送され そのまま入院となりました

一時期は命も危ぶまれたのですが 何とか持ちこたえてくれました 2ヶ月少しで退院し しばらくは自宅で療養して 令和5年の新年を迎えました

母親が入院中だったもので 自宅が留守になってるので 電話が通じず 私の所へ連絡があったのが 12月の中頃

妹叔母が風邪をこじらせて 入院して

その入院先の病気で コロナのクラスターが発生して 叔母も感染したとの事

母親に話しても 母親本人も 入院中

心配事が増すだけで 気が滅入ると思い そのことは 黙っていました

とにかく 母親の病状が落ち着くのが最優先だと判断したんです


令和5年の新年 ちょうど今から一年前

退院はしたものの 食欲はあまりなく 寝たり起きたりの 日々が続いていました


そして また、悲しい知らせが 私にきました 妹叔母が亡くなったと


3日前から悪化して エクモに繋がれた状態で息をひきとった


私はどうしても 母親にこの訃報を伝える勇気が持てず ひと回りも年下の 子供の頃から 一番面倒を見て 可愛がっていた 最愛の妹だって ずっと聞かされていて

それでなくても、変わり果てた姿を 去年の秋に見て ショックを受けてたのに

追い打ちをたたみかけるように こんな事を 弱ってる母親に言えるはずが無いって


叔母さん ごめんなさい 

あなたの死 1年経ったけど まだ伝えられていないんです

でも、もう今更 伝えようと思わないんです 

母親が そちらへ行った時に 驚かせてやって下さい