昭和天皇は靖国神社のA級戦犯合祀に対して反対だったという、当時の側近による記録が出てきた。

合祀以来、天皇自らが靖国参拝を固辞していたという事実に、その信憑性が見て取れる。

世界各国に不穏の種を蒔かないためのポーズではなく、自身の意見としてA級戦犯を靖国神社に合祀することに昭和天皇は反対だったのだ。



首相による靖国参拝を < 国のために戦った者たちに敬意をはらって何が悪い > と奨励する意見もあるが、それは断じて間違いである。

先の大戦を引き起こしたA級戦犯と呼ばれる者たちは、天皇を傀儡とし、その威光を笠にきて < 己の支配欲を満たすという快楽のためだけに > 世界を巻き込んだ明らかな犯罪者だ。

何が < 国のため > などであろうものか。

< 快楽殺人 > と同じではないか。


さらにここに至って < 敵がこちらを攻撃する姿勢を見せたら攻撃基地を先制攻撃できる > ように流れを作ろうとする意見と、それに賛同する馬鹿な意見が多く登場し始めた。


そりゃね、わたしだって

「 攻撃されて被害者が出ているのに、黙ってやられていろというのか 」

と問われれば、首を縦に振ることなど絶対にできない。


しかしながらそれをやってしまえば、日本はあの愚かな大戦を引き起こした時と同じ轍を踏むことになってしまう。

日本は絶対に戦争をしない国として再出発したはずではなかったのか。


大事なのは、大戦を引き起こし甚大な犠牲をはらって終結した国として、常から戦争は絶対にしてはならない大罪であるという意見を発信し続けることだ。

どこかの国と緊迫した関係になる前に、いやそのような関係にならないために、世界の人々の耳にタコが鈴生りになるほど < 自らの経験 > を内外へ知らしめることが、この国の使命なのではなかったか。


決して < 加担 > も < 先制攻撃 > も許されるべきではない。


誰がどんな反対意見をぶちまけようとも、これだけは絶対に動かない真理だと思うのである。



昭和天皇は時代に翻弄されながら、良くも悪くも人間だったのだなぁ・・・と、おそらくはあの戦争を最も後悔し、二度と繰り返してはならないと願っていたであろう故人の冥福を、あらためて祈らずには居られない今日のタイタンなのだった。