大きな事故で病院に担ぎ込まれた被害者を探すのにも、個人情報保護を楯に入院しているかどうかすら教えてもらえない現代に在って、犯罪被害者 ・ 加害者の個人情報はザルの目を通すかのようにかくも安易に流出されてしまう。


TVのワイドショーを見ていて、つくづく大変な矛盾だなと思う。



それにしても、リポーターやコメンテーターたちの、犯罪加害者の出自に関する反応は如何なものか。


育ってきた環境が人格形成に影響を与えるのは当然のことだとしても、それが犯罪人格を創り上げるという説には、わたしはうなづくことができない。


たとえば同じイジメを経験しても、意固地になって他人を受け入れられなくなる者があれば、それを踏み台にして大きくなろうとする者もある。

いじめられた経験から、自分より弱い他人を同じようにいじめてやろうとする者もあれば、かつての自分と同じ思いをさせたくないと自らの正義感を育てる者もある。


わたしは、生き物には生まれ持った性質があると思っている。


人間に限らず動物だって、同じ親から何匹も生まれ落ちた瞬間から性格が大きく違っている。

他を押し退けて進む仔があれば、おどおどしてなかなか前に進めない仔もある。

他の仔のそばにぴったり寄り添ってばかりいる仔もいれば、ひとり離れて隅っこにうずくまる仔もいる。

これすべて、生まれ持った固体性格なのではないか。


同じ環境 ・ 同じ経験を味わって、それが言葉に出来ないほど辛く苦しい体験だったとしても、犯罪に走るか正義に向かうかは持って生まれた性質が大きく関わる部分だと思うのだが、どうだろう。



たとえば殺人事件が起こって容疑者が逮捕されたとしよう。

容疑者は学生時代いじめられていた。

いじめられて萎縮して環境に溶け込むことができないから、周囲からは変な子だと思われていた。

しかし将来、その子が犯罪に走った原因は学生時代のイジメではない。

多少なりとも影響はあったことは間違いないだろうが、それが犯罪に走った原因では決してないだろう。


「 学生時代の容疑者を知る者はみな口々に容疑者は変な子だったと証言しています 」


だから?

いじめられていた変な子だったからこの加害者が殺人を犯したとでも言いたいのだろうか。



遠い過去の負の経験が犯罪を犯す原因になるというのなら、わたしだって現在の年齢になるまでに何十人かを手にかけてきていても不思議はない。

長い人生を辛く悲しく苦しい経験をひとつもすることなく大人になった人間なんて存在するだろうか。

被害者にしろ加害者にしろ、当事者にとって触れられたくない過去の出来事にまで取材が及ぶ無神経さに、ワイドショーを目にする時間が増えた生活をしているわたしは食傷気味だ。




ここまで書くと、まるで加害者弁護の立場にあると思われるかもしれないがそうではない。


持って生まれた性格こそが経験を咀嚼して犯罪に向かうかどうかを判断する、という意見はつまり、快楽で以って犯罪を犯す人間は根本的に矯正されないという考え方なのだ。


そういう犯罪者は、何年の刑期を終えても、決して外に出すべきではない。


ええ。

わたしはどっちかというととんでもなくタカ派なのだった (--)