ちょっと昔へのノスタルジーという岡崎世代への接待に陥らず、
スマホにインスタと現代に生きる主人公と同世代に向けて
アップデートした監督の手腕を評価。
空っぽの虚無感が時代を越えて如実になり、
岡崎京子の原作の普遍性を痛感。本編は「スプリングフィーバー」を
「市民ケーン」と「アマデウス」という監督発言通り。
劇中引用されるイーディと同様に周囲を巻き込み、瞬間に輝く偶像を追う。
「青春の自爆テロ」という秀逸な台詞の通りのはっちゃけ感がまるで夢物語の様で空しい。
チワワちゃんの内面や真実を一切描かず、
周囲の記憶の伝聞のみで描き、声のレイヤーを重ねても
実態のない虚無感が増していく存在。
喧騒の当事者ながらも、何処か冷めていて、
寄る辺のない主人公に門脇麦を配したのが絶妙。
チワワちゃんと似た風貌ながらも、光と影の存在であり、
憧憬と嫉妬が入り混じった視点で消えた彼女の姿を観客視点で追う。
最後に真実や結論に至らないのも当然。

偏愛度合★★★★