途轍もない閉塞感が覆う。
それも地方都市特有の逃げ場のない閉鎖感に満ちた空気感。
そこで偶然ではなく、ある種の必然として起こる容赦のない暴力が運命を狂わせていく。
埼玉版「ミスティック・リバー」という評は誠に的を射ているだろう。
暴力は世代を超えて連鎖する。
一度でも暴力を受けた者は、それを拒否しながらも、身体が覚えていて、否定することができず、
ましてや両親など血縁の場合、それは世代を超えて、受け継がれ、繰り返されてしまう。
幼児虐待が母子で繰り返されるのは、決して映画だけの物語ではない。
閉塞空間で展開される暴力の連鎖は観客にとっても相当きつく、逃げ場がない。
映画として都合の良いハッピーエンドに仕上げるための、安易な救いや癒しも一切提示しない。
救いは全くないが、今年の邦画では屈指の傑作の一本であることも間違いない。
あゝ相当痛いぞ。後を引くタイプの作品だ。
いちおうは虐待にも、暴力にも、地方コミュニティやヤンキー流儀にも無縁でいたはずだが、
何かしら封印したはずの記憶がよみがえる。
良きに悪しきにせよ力のある物語は、
人が無意識に歪曲、隠蔽したはずの記憶の欠片を突如として表層化させれることがある。
作品タイトルである「自警団」の顛末から、前に住んでいた郊外の住宅街で、
年末に火の用心のため柏木を打ちながら町内を自治会で見回りした記憶が蘇ってきた。
若かりし頃の良い思い出はなく、町内会自体を避け、仕事を理由に当時の家族に、
会合などを全部押し付けていた自分の身勝手さも同時に気が付き、心を掻きむしりたい衝動に陥った。

さて本題。
幼少時代、父からの一方的な暴力によりトラウマを抱えている兄弟。
母の死をきっかけに長男が逃亡し、それ以来帰ってきていない。
次男は父の跡を継ぎ政治家となり、
下っ端ながらアウトレットモール誘致、建設という地方都市の利権確保の一端を担っている。
美しいが上昇志向の強気の妻に敷かれ、なんとも情けない男だ。
三男はデリヘル店長というヤクザ稼業ながら、
人の好い三兄弟の仲ではまだ唯一救いともいえる感情移入可能な人物である。
そう、兄弟を取り巻く政治家、役人、地元ヤクザにチンピラなど全てどうしようもない輩ばかりなのだ。
そこへ父の死後、突然帰郷する長男。
借金取り立てヤクザ群のを引き連れての放蕩息子の帰還か?
そう、全編物語を通して、どこか聖書の逸話を思い浮かていた。
最終的に教訓はあるけど、同時に人を残酷までに神の意思次第で翻弄し、破滅へ陥れる、
まさしく古典版フィルムノワールとも言うべき物語が聖書なのだ。
キリスト教徒でもなく、聖書の読み込んでいるわけでもないので、具体的には物語とは繋がらなかった。
しばしググっているとマタイによる福音書18章の

  どんな不正であれ、どんなことであれ、
  全ての人の犯す罪には、ただひとりの証人によって定めてはならない。
  ふたりの証人の証言によって、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。

という記述に突き当たった。
三男の「まぁ近いうちに、三人で焼き肉でも食ってさ、話でもしようや」という台詞へと繋がった。
脚本での意図なのか、偶然のこじつけなのかは不明だけど、
父という呪縛を共有する三人の兄弟という証言者たちの会合が必要だったのかも知れない。
土地を含む遺産の円満な分割があれば、その後の悲劇はなかった。
その欠如こそが、最後の悲劇へと一直線に繋がっていったに違いない。
あの容赦ない地獄絵図はなかったかもしれない。

最期に見事な配役には唸らせる。
大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太の三兄弟の見事な配しに勝負あり!
唯一の善人(的)である桐谷クンがおいしい役柄を持っていったかもしれないが、
大森南朋の兄としての捨て身、鈴木浩介の傀儡夫ぶりの情けなさも三人が奏でる
ヤクザなアンサンブルが溜まらない。
また全編で背景や台詞での余計な台詞で多くを語らない脚本も見事だ。
最小限の台詞と光と闇を駆使した映像ですべてを語り切る。
傑作と称されている「SR」シリーズを未見のため、
大手映画製作で他者脚本の雇われ監督作品は評価しないけど、やはり底力のある人だ。
何としても「SR」を観ねばばらないぞ。

偏愛度合★★★★