クロエ・グレース・モレッツにとって過渡的な時期なんだろう。
子役で人気を集め、評価されてきたが、余りに小柄で童顔故に年相応の成長が見えにくい。
いつまでも邦画のように中高校生役というわけにはいかず、自ずと役柄も狭まってしまう。
今作では21歳で憧れの「ニューヨーク・ポスト」の新人記者になれた、未来へ希望を抱く女性。
年相応の役柄ではあるが、どうしても小生意気のティーンのイメージが抜けず、
社会人と言われれも違和感は否めない。レオナルド・ディ・カプリオなどと同様だ。
年齢が肌を刻み、段々と役柄的にも成長していけば、
それなりに違和感も薄れてくるのだろうが、今は中途半端な時期でもある。
何故かシャーリーズ・セロンが製作に名を連ねている。
経緯は不明だけど、相変わらず多岐にわたるシャリ姐の活躍には驚愕する。
クロエの一見幼すぎる違和感さえ置けば、2007年というつい最近まで認定されていなかった奇病
「抗NMDA受容脳炎症」を演技として主観的に好演しているのは彼女ならではの実力だろう。
最初誤診されそうになった癲癇や解離性障害は客観的な描写は突き放してしえば明確だけど、
それを観客も共有できる形とし「主観的に演じるのは難易度が高い。
特に映画においては視覚、聴覚、言葉(モノローグを含めた台詞)で当事者の苦しみを表現するのだ。
病名すら明らかにされていない当時、
周囲とヒロインの線引きを単なる正気と狂気という二元論で展開しがちなのだ。
それを観察視点としての周囲の理解もありより、主観部分が理解できる。
今作では周囲の両親や同僚、友人、医師なども概ね理解度のある一方的な排他者としては描いていない。
まずは言葉が先行しながら、コントロールできない衝動を持て余していく。
それが癲癇発作やブラックアウトなど視覚的な混乱として表現される。
一番巧みなのは、聴覚効果だ。彼女が聴こえているはずのノイズが劇中のSEとして再現される。
強調した物音やありえない彼女への揶揄の言葉やノイズが絶えず聴こえ続ける。
病状が進むにつれて、追い詰めれていく、自らの正気すら疑い始める。
意識混濁状態に陥る。
まぁ、ラストには実話通り、あるドクターの機転により原因を発見して、治療を進め、全快に至る。
映画の原作となったのは彼女自身が書いた自伝的な記録なのだ。
観る気もないけど同時公開中の邦画「8年越しの花嫁」も同じ症状を扱っているらしい。
クロエ・グレース・モレッツの健闘でこちらは何とか観れるレベルだけど、
そっちは何となく嫌な予感がいっぱいだ。

偏愛度合★★★