ある人は新世代のためのSW聖書の誕生とある人は雑な物語に幻滅と評価が真っ二つに分かれ
賛否両論となっているみたいだけど、個人的には全面肯定ではなくても素直に楽しめた口。
少なくとも映画を観ている最中にあれこれと余計なことを考えさせずに、
ひたすら物語の展開に没頭し、劇場に座っているという現実を忘れさせてくれる力は持っている。
最近ある雑誌で知った

   「物語の中で時間が流れ始めると、物語の外の時間は止まる」

という言葉の通りだ。これって一番大切なこと。
どちらの言い分も理解できる。
確信犯的に既存の価値観の破壊を試みている。
例えば「フォースの覚醒」で重要な小道具となったルークのライトセーバー。
後生大事に抱えて、ようやくマスター当人の前に立ったレイ。
受け取ったルークは「こんなもの意味がない」とポイっと後ろへ投げ捨てる。
かつてのヨーダとルークのような二人の修業が始まるのかも思えば、あっさりと断固するマスター。
思わせぶりに岩山を登っていくので、レイが後を追うと、気色悪いクリーチャーの乳しぼりするだけで、
それをどや顔を飲み干すマスター。
棒で海をひらりと舞い宙を飛ぶのかとも思えば、単に今晩の食料となる魚を突き刺すだけ。
一事が万事この調子なのだ。
思わず「あれ、今回はコメディ?」と疑問視したけど、
散々「フォースの覚醒」で引っ張ったものの梯子をはずしていく描写には、
拍子抜けと同時に「何を拘っていたんだ?」という不思議な爽快感すら感じる。
フォースという能力を有する選ばれし者として、代々受け継げられてきた既存の価値観をことごとく壊す。
それも最後のジェダイたるルーク自身によって。
そもそもフォースを継ぐ者であるスカイウオーカー家による血で血を争う歴史なのだ。
要は単なる全宇宙を舞台とした親子喧嘩に過ぎない。
それを物語を通して真っ向から否定する。
フォース自体を特定のDNAに縛られるものではなく、もっと不変的で誰しもが有する力として説明する。
特権階級から市井の人へとフォースの解釈をひろげる。
確かにその意味では新たなる聖書と言えるかも。
このルークとレイの物語にカットバックさせられるのが、ファーストオーダーと反乱軍の戦闘シーンだ。
戦闘機で巨大戦艦に挑む、爆撃機による空爆とそれなりに見せ場が続く。
無重力空間なのに何故か落下する爆弾など、確かに細部の設定の雑さを指摘されると、
成程と否定できないものばかりである。作戦自体の行き当たりばったりの雑さもその通り。
反乱軍はアホばっかりというのもわかる。
窮地を救うために単独行動でシールド解除のために、カジノ惑星へ向かうフィンと新登場のローズ。
タイムリミットなサスペンスとして展開しているはずなのに、まどろっこしい寄り道には疑問もわいたけど、
それなりに見せ場を、繰り広げて胡麻化してしまう(?)。
まあ、細かい粗の大技での誤魔化しもまた王道手法なので否定はしないけど。
この三つのプロットが交合に進行しながらカットバックさるのだけど、
お馴染みののんきな横ワイプで繋ぐなどもあり、展開自体にまどろっこしいところはあるかも。
空中戦に砂漠を舞台とした地上戦など大技な見せ場を矢継ぎ早に連続させ、
ファーストオーダーのラスボス爺のあっけない顛末やあのキャラクターの登場、ルークの最期など、
つくり手の仕掛けた確信犯的なハズシやスカシに上がったり、下がったりして、
観客も誠に忙しいので、その辺は少なくとも物語の渦中では意識しないだろう。
物語外の時間を忘れるいには。
誰もが望むSWの最大公約数を再始動して具現化した【序】としての「フォースの覚醒」、
大きく舵を切り、新時代へと向けて展開させた【破】としての「最後のジェダイ」に続く、
三部作の結論となる【急】はいったいどうなるのだろうか?
やはり主要キャラクタであるキャリー・フィッシャーの死が気にかかる。
作品毎の多少の出来不出来はあっても、SWシリーズは現代の神話であり、
それが毎年恒例のように公開され、真っ先に劇場へ駆けつけ、
各人があれやこれやと文句をつけるのも至福のことなのだ。これからのサーガは続く。


偏愛度合★★★★