ホドロフスキー「エンドレス・ポエトリー」の劇中でも言及されていたが、
実在のチリの詩人で、ノーベル文学賞受賞者でもあるパブロ・ネルーダ。
残念ながらネルーダ作品には接したことはなく、
またその人生についても同様全く知らないのでので実話度数は不明。
でも劇中でのキャラクター描写を見るとどうにも食えない灰汁の強いオッサンなのだ。
貧しい人に寄り添う共産主義者で現政権へ反動的でありながらも、
同時に芸術と女、酒をこよなく愛する享楽主義者でもあるという矛盾を抱えた多層な人物像だ。
崇高な芸術家であると同時に自分勝手な俗人であり、
どこか憎めないけど、単純に愛すべき善人でもない。
そして本作も台詞にポエムが飛び交い、言葉を自由に操る詩人の華麗なる自伝映画ではなく、
奇妙な屈折した追跡劇となっている。
追われる詩人と追う警官という追跡劇が物語の根幹にあり、ふたりの奇妙な関係性こそが主題だ。
反体制として大統領から逮捕命令の下った詩人を確保するために、
うだつの上がらない下っ端警官が執拗に後を付け回す。
ふらりふらりと行方をくらましながらも、決して捕まることなく逃げ続けるが、
逃亡劇としての善玉と悪玉の対比やハラハラドキドキの緊張感や予想外のサスペンスはない。
追手に対して、わざと手掛かりや痕跡を残したりと、半ば愛憎が入り混じった追跡劇が展開される。
彼こそが物語の語り手(視点)であるが、最初は上からの命に従ったはずが、後半に向かい、
何としても我が手で詩人を手にしたいという屈折した愛情を抱き始め、戯れと化す。
追跡という名のゲームであり、物語の定石のひとつだろう。
相手を捕まえることは、同時に相手に捕まることと同義であり、憎しみと愛情は半ば一体と化す。
詩人自身もゲームを楽しみ、その過程から最高傑作と称される「大いなる歌」が創作されたらしい。
警官を演じるガエル・ガルシア・ベルナルがいい味を出している。
捨てられた子犬のような頃からはちゃんと成長して、年を食いいい役者になっている。
バイクを押す姿から出世作「モーターサイクル・ダイアリーズ」を思い浮かぶ。



偏愛度合★★★