帰郷ものって映画の物語の定番ジャンルのひとつだろう。
でも大概は都会で成功して、故郷に錦を飾ってのめでたい帰郷ではなく、
どこか後ろめたさが伴ってくるのが多い。
都会での生活や仕事に行き詰まった逃避であったり、故郷に絡む因縁から逃げ続けてきたけど、
やむ負えない理由で帰郷をへと追い込まれる等、これまで保ってきた距離感を縮めるには訳がある。
物語としては、暖かい歓迎よりも家族や友人、隣人との再会でひと悶着へと発展するのが定石。
スペインとアルゼンチンと国規模でなくても、
地方の田舎から東京に出て暮らしている人が久々に帰郷するのと同じであり、普遍的な物語がある。
故郷アルゼンチンを捨て、現在はスペインで暮らしながらも、
この度ノーベル賞受賞という栄光を手にした作家である主人公が40年ぶりに帰郷する。
きっかけは故郷の田舎町からの「名誉市民」称号授与であったり、講演依頼など。
故郷の記憶を基にした物語を作品として次々と発表しながらも、
親の死に目にも帰国しなかった男が気まぐれのように故郷へと向かう。

ちょっとここで脇道へそれるが、書評家大森望氏は

 現実的で論理的なのがミステリー
 非現実的で論理的なのがSF
 現実的で非論理的なのがホラー
 非現実的で非論理的なのがファンタジー

という分類をしていた。
そこから引用すれば現実的で論理的なミステリーとしての物語が、中盤以降、主人公に降りかかる
不条理性によって、現実的で非論理的なホラーへと変わるメタフィクションといえるだろう。
そして次から次へと襲い掛かる不条理が宇宙人来襲でも天変地異でもなく、
現実世界で誰しもに起こりうる条理を越えた出来事なので思わずホラーに背筋が凍る。
正直期待していなかったが、これが滅法面白いのだ。
ノーベル受賞作家の感動的な帰国や故郷の人々との暖かい交流を描いたヒューマンドラマを
期待していたら、巻き散らかす毒素に目も当てられないだろう。
何よりも一番怖いのは悪魔や悪霊でも、エイリアンでもなく、人間なのだ。

物語は、(後でその意味が明かされるが)章立てされた一幕ものを連ねていく。
まずは授賞式での反体制的な作家を気取った、やや不遜なスピーチから始まる。
ここでは彼の描く作品自体には触れないが、実は故郷での実際の記憶を身勝手に改変したものらしい。
事実を美化することなく、誇張、歪曲して揶揄した作品らしい。
だから身(記憶)を削って書くため、現在はネタ切れで断筆状態のようだ。
それが後々の伏線となっていく。
空港から数時間車を走らせてようやくたどり着く何もない田舎町。
それも車の故障で一晩田舎道で夜を明かすなど、故郷との距離感は中々縮まらない。
翌朝ようやくだどり着いた町うすら寒いさびれた町並みで過疎化が進んでいるのか、
老人が目立ち、全体的に活気がなく、何故か街中をやせた犬ばかりが歩いている。
故知の同郷人から表面的には笑顔で迎えられ、滞在中は歓迎セレモニーに、講演会、
絵画の品評会、肖像除幕式などスケジュールいっぱいで追われる。
変わり果てた生まれ育った家、死に目をあえなかった両親の墓参り、
昔の恋人や親友との再会など多忙な日々を過ごしながらも、些細な不具合は生じていく。
「笑う故郷」という邦題は秀逸である。
笑いに隠された笑えない代物こそが人の本性なのだ。
一定距離離れていたものを急に、無理やり距離感を縮めると必ず感情的な軋轢が生じる。
章を追う毎に、この笑いの裏に隠されたものが徐々に露呈してきて、
まるで迷宮に彷徨い込んだ不条理劇のように襲い掛かるのだ。
その辺が丁寧に書き込まれた脚本が見事である。
また主人公作家を演じるオスカル・マルティネスも身勝手で飄々としながらも、
段々と追い込まれていく演技の変化が見事だ。
そして終章での展開には驚き、更にそれを覆すエピローグでの展開には再度驚くだろう。
ミステリーからホラーへと転じるメタフィクションであることは理解できるはず。


偏愛度合★★★★