基本は雰囲気映画。
楽しめる人は楽しめるだろうし、退屈と感じる人はそうかもしれない。
ゆるい物語と隙間だらけの3人のキャラクターのぼんやりと眺めていればいいのだろう。
魚喃キリコは何作か持っているはずだけど、原作を読んだかどうかは怪しい。
連載は1998~1999年らしいけど、
あの時代の岡崎京子からのコミック流れ持っていた空虚な空気感には当時ははまった。
映画がらみで見れば公開を控えている「リバース・エッジ」が1994年、
「ヘルタースケルター」が2003年だから丁度その中間に位置するのか。
ベタやトーンの少ない、ミニマムな線画のタッチや背景の真っ白な空白は再現できている気がする。
でも18年寝かして、現在に映画化という必然性は見えない。
劇中での時代設定も曖昧。
無理やり現在へと変更しているわけでもないけど、当時のままでもない。
キャラクターの関係性と日常のディティール描写だけで成立しているので、物語の背景が希薄。
何んとなくゆるりとした雰囲気のみが横たわる。
三者三葉、配役は絶妙。
オダギリ・ジョーはお馴染みのダメ男役をいつも通りに演じる。
作品が変わっても演技もキャラクターも殆ど同じ。
たまに新機軸を演じたゲバラの腹心役が未見なので、やっぱりいつもダメ男にしか思えない。
同性から見ても不思議な色気があり、クズだけど憎めないというか、
自分から一番遠い位置にいる、あり得ない役柄だからついつい怖いもの見たさで感情移入しやすい。
対抗馬であるもうひとりのダメ男役、太賀もダメさ加減で検討しているけど、
まだまだダメ専科の達人とは格が違う。
彼も何故かダメ男役が多いので修業を積んで、次なる達人を目指してほしい。
ふたりのダメ男の狭間で揺れるダメ女が臼田あさ美。
いつもにじみ出る幸の薄いキャラクターがうまく活かされている。
脇役中心の特徴の薄い役柄が多かったけど、今回は物語のダメ男実地視察の視点として頑張っている。
冨永昌敬は「ローリング」の柳英里紗もそうだったけど、
突き抜けた個性や華のない女優を妙に生々しく、エロく撮る監督だな。
細部を丁寧に描くけど、流れはゆるやかで、
一部時間をシャッフルした編集はやや唐突で余り効果を上げている感じではない。
ラストのクレジットが音楽なしの無音というのには拍手喝采。
ミュージシャンや音楽がテーマの作品なのに、
蛇足で臭い歌声や陳腐な歌詞でお茶を濁さない潔さには感服。


偏愛度合★★★