フランソワによるフランワへの見事なまでのオマージュを堪能できる。
前知識なしに物語に浸っていたら「何となくリズムがトリフォーぽいな……」と感じていたけど、
よくよく考えると第一次世界大戦後の傷跡が生々しい時代を背景に、
フランス人とドイツ人のという二人の男に挟まれ、心揺れ動くヒロインって設定自体が
フランソワ・トリフォーの名作「突然炎のごとく」そのままだった。あゝ迂闊だった。
そのことに気が付くと不思議と容姿は似ていないのにヒロインを演じるパウラ・ベーアにも
亡きジャンヌ・モローの面影を見出してしまうのだった。これも映像の持つ大きな力だろう。
元々多岐にわたる作風やジャンルを支える演出力があるフランスワ・オゾン監督で
エルンスト・ルビッチ監督の原作(未見)を自ら脚色しているようなので、
意図的に仕掛けられたフランソワによるフランソワ解釈ではないかと妄想はひろがるばかり。
そう、リズムってのがトリフォー感いっぱいなのだ。
現代映画のせわしない展開やテンポ、カット割りではなく、クラシックな語り口が何とも心地よい。
モノクロームの淡い色彩でゆったりと長めに、引き気味でとらえられた映像はノスタルジックだ。
ピアノや弦楽器の奏でるゆるやかで静謐な音楽も同様だ。
物語はミステリータッチではあるけど、謎解き自体よりも、
それに至る人物(特にヒロインであるアンナ)の心情描写の揺れ動きを主題にする。
会話劇主体で語り手の話す内容がそのまま映像化されるといういささか古典的な手法もしっくりくる。
本来ミステリーならばであれば、重視すべきそれが真実(現実)であるか、嘘(虚構)であるかよりも、
映像を通じて登場人物の内面が露呈され、それが双方向の対話となる。
初めての世界大戦という途轍もない喪失感を抱く時代なのだ。
亡き婚約者の面影を突然現れた見知らぬ男に委ねていく。
常に人は脳内で記憶を改竄、歪曲しているので記憶の断片が本当にあった過去なのか、
そうあって欲しかった願望なのかなんて明確に区別できない。
たとえそれが嘘であっても相手が信じた段階でそれは真実に転じる。
またパートカラーの使い方が見事だ。
基本はモノクロームの陰のある冷たいタッチの映像がある時、カラーに転じる。
単純に回想シーンをカラーで表現とかいう手法ではない。
主観となるヒロインの感情的な流れに準じて、エモーショナルな展開となると徐々に色づいてくる。
グラデーションのようなゆっくりした変化なので、最初はカラーになったことに気が付かないくらいだ。
心象風景に準じて色づくって映画的な手法だけれども、同時に理にかなったもののような気がする。
実は世界が本当に自分が認識している通りに存在するのではなく、記憶と同様に、
視覚レンズから視神経を通じて認識された映像情報を脳内でフィルタリングして、
自己都合で加工して認識しているのだ。当然色彩の決定やディテールの強弱が施される。
それを映画的な手法として流用して見せたに過ぎない。
やがて真相を求めて、婚約者の友人を探してフランスへと向かうアンナ。
そこで見た風景、知った事実らしき断片、それに伴ういくつかの嘘も
やがてすべて真実そのものというりも、彼女が求める物語に過ぎない。
あらゆる人にとって、映画と同様に後加工された記憶という物語こそが真実であり、人生となる。
偏愛度合★★★★