NETFLIXに限らず、特定の有料会員動画配信サービスでの限定公開という形式にはついていけない。
WOWOWという有料チャンネルで映画を観ることも多く、劇場未公開の傑作と出会うことも少なくない。
もちろん映画と出会う機会(手段)の問題だけであって、全面否定はできない
これは否めない時代の流れであり、今後も拡大するだろう。
例えば、珈琲豆を大手チェーンから画一商品を仕入れていた喫茶店が自家焙煎を始め、
自店オリジナルの商品を提供するって商いとしては当然のことだろう。誰も非難しない。
でも映画というメディアに関してはややこしい。
映画館で観るのがこそが映画であり、
レンタルDVDやネット配信で観るのは邪道だと、いまだに映画館という場所が聖域化される。
音楽の世界でもフィジカルなメディア(特に中途半端なCD)が駆逐されようとしている中、
映画も鑑賞スタイルを変えていかざる得ない。
否定はしないが、いつでも観れる状態だと日々の時間的な制約もあり、結局余り観ないだろう。
劇場ならば、休日に時間を確保して梯子するなどが可能。
逃げ場のない暗闇へと追い込んでこそ集中できる時もある。
でも動画サイトって流しそうめんみたいな感じだ。
流れてくるそうめんを食べることに追われたり、食べる前に流れ去っていく。
だから今のところ一歩踏み出せない。
「okja」も韓国シネコンでの上映拒否や公開形式を非難してカンヌ映画祭での
今後のネット配信限定作品の出展拒否とかの物議を醸しだした作品。
自分も京都国際映画祭での特別上映にて劇場鑑賞。一般公開はされていない。

前置きが長くなったが、それは兎も角、是非幅広く公開して一人でも多くの人に観て欲しい傑作だ。
特に小学校の授業の課題として必須にすべき作品なのだ。
多分社会規範や道徳的な側面を学びつつ映画というメディアを楽しみ、慣れ親しんでいくことができる
2時間の娯楽作として無駄なくきっちりとまとめているが、テーマは奥深い。
まずは動物(ペット)と過ごすことの素晴らしさが余すことなく体験できる。
CGでつくられた存在しないものなのに、少女の目を通してリアルで生々しくたまらなく愛おしく思える。
犬や猫を飼っている人ならば、お馴染みの仕草、例えばへそ天で居眠りする姿などが堪らない。
同時に生命への大きな責任が伴う。
一緒に過ごした時間の全てが大切な記憶になるけど、必然的に別れが重荷となる。
更には肉食という当たり前の日常に潜むダークサイドを描く。
人の都合で家畜として、食うために生まれ、育てられた動物の過酷な現実がある。
食卓や店頭に並ぶ、美味しいものの裏には必ず屠殺という過程があり、
食肉加工される動物の姿を事実として容赦なく描く。屠ることの意味を知ることが出来る。
世間的には隠したがる部分ではあり、それを担う人への差別を伴ってきたが、必ず知るべき現実でもある。
その筋のドキュメンタリー映画でお勉強するのではなく、娯楽作品を通して自然と学んでいくのだ。
押し付けられる知識ではなく、楽しんで身についたことは一生忘れない。
自分自身がそうだった。
人生で役に立つことも、余り役には立たないことも殆ど映画を通じて知った。
物語は映画的に明確に図式化している。
純粋無垢な田舎育ちの少女に対して、敵役として世界的な食品メーカーを置く。
企業の飽くことなき利益追求と金儲けに伴う表と裏を描く。
CEOであるティルダ・スウィントンの偽善的な過剰演技なパフォーマンスには笑える。はまり役だ。
また一見味方のような動物保護団体という一見正論だけど、その偽善性も皮肉る。
動物愛護をうたうインチキ司会者も同様。
こちらもジェイク・ギレンホールとポール・ダノがティルダ・スウィントンと同様にはまり役。
少女役を始めとして配役が何とも見事なのだ。
細かいエモーショナルな演技というより役柄に徹したパフォーマンス感が娯楽作品としての図式化を担う。
そして(観客である)子供は大人って所詮インチキで、
世の中に蔓延るまやかしを信じてはいけないことを学ぶのだ。
韓国の山中からソウル市内、更にはアメリカのニュージャージー、ニューヨークへと
ダイナミックな移動を繰り広げるのも映画ならではの躍動感だ。
連れ去られたokjaを追う少女の視点で一貫して観客を感情移入させる演出も見事であり、
一見シンプルな善悪対比の娯楽として成立させながらも、
ちゃんと主軸となる道徳や倫理が一貫して、作品全体として揺るぎがない。
これは本当に傑作。ポン・ジュノの最高級の1本と断言できる。

だからこそ、ネット配信オンリーなんてけち臭いことを言わずに、
DVD発売や小学校の授業必須科目にしてでも幅広く知らしめるべきなんだ。


偏愛度合★★★★★