結局のところ、愛ってややこしい。
元をたどれば、単なる脳内ホルモンの為せる幻想であり、
一瞬の狂気の一種に違いないのだろうが、どうしても関わるもの全てをこじらせる。
それは男と女であっても、男と男であっても、女と女であっても結局同じ。
王家衛「ブエノスアイレス」を観ても、異性愛者は男同士だから関係ないとは感じない。
性別とは無関係に誰かを狂おしいまでに欲し、抱きしめたく、愛したくなる気持ちには変わりない。
異性愛者でも共感できる普遍性があり、それはセクシャリティの問題とは無関係なのだ。
レズビアン映画といってもある特定の嗜好をゆする人を対象とした特異なジャンル映画ではない。
この映画は痛快なのは男性による妄想的なレズビアン映画ではなく、
またレズビアンによるレズビアン映画でもなく、女性によりレズビアン映画だという快挙。
女性監督は勿論、プロデューサー、カメラマン、照明に至るまでのスタッフに全員女性を揃えたこと。
「女性視点からみた女性のためのラブストーリー」を目指したらしい。
これらを前情報として知らずに劇場へと足を運んだけど、
結果はフェミニズム的なミサンドリーな断片が蔓延しているかと言えば全くそんなことはない。
「ブエノスアイレス」と同じく、ややこしく、こじれた愛の姿があるだけだ。
映画や文学などの作り手に対しての
「女性ならではの繊細な感性」というクリシェな言い回しが大嫌いなのだ。
男性抱く女性同性愛者への妄想性は皆無。
言葉通り繊細さよりも、同性であるが故に生々しさが感じられる。
それは時として男性が求める妄想性を排除した容赦のないリアルさであったり、生々しいまでの姿。
そこには異性愛の男性から見ても素直に「恰好良い!」とエールと
密かな欲情をおくりたくなる痛快さを二人のヒロインが見事に体現する。
モデル出身で金髪のエリカ・リンダ―の存在感は素晴らしい。
短髪で細身だけど、職業は大工で男勝りの仕事っぷりで、常に男っぽい服装やしぐさなのだが、
やはり女性が秘めているアンビバレンツな感じにはたまらなく魅せられた。
彼女の相手役であるナタリー・クリルもまた同様に目が離せない。
異性愛者で男前の婚約者がいながらも、何故か同性である彼女に惹かれていく葛藤。
思いもよらずひとりの女性の中から別の女性が噴出していく感じが伝わってくる。
二人の距離は縮まったり、離れたりと、恋愛映画ではお馴染みの駆け引きが続く。
この出会った瞬間のビビビッというきらめき、直後のもどかしい感じも、痛いほどわかる。
本編の多くは女性同士のラブシーンが延々と続くが、男性を欲情させるためという視点が
全く欠落しており、如何に自分たち女性を生々しく、美しく撮ることだけ徹しているのが清々しいのだ。
流石に男性監督なら描かなかったであろう、
男性器型の張り子をベルトで腰に装着してプレイするシーンには驚いた。これがリアルワールドなのね。

最後にネタバレになるけど、このジャンル映画の多くは悲恋に終わることが多い。
マイノリティ、あえて正論者から見れば異論な唱える道を外れる者への
戒めのつもりなのかバッドエンドで終わることが多い。
全くバカげているけど。キリスト教背景もあるのかもしれない。
でも今作はハッピーエンドと言えよう。
既存の価値観から離れ、自由に生きる二人の姿が余韻として残る。
彼女たちの選択によって、時として男は不要な存在に過ぎない痛快さが提示される。拍手喝さい。

偏愛度合★★★★