韓国の是枝監督。
まさしく、宣伝では是枝監督本人が賛辞のコメントを寄せているけど、
その言葉にある「ファーストカット」からして是枝節がうかがえる。
製作会社のクレジットの後、黒地に複数の子供のじゃんけんの声が被さってくる。
そして望遠レンズで撮った少女ソンのアップショット。
遊戯の組み分けのじゃんけんらしいが、最後まで誰にも指名されない彼女の表情の変化を追う。
些細な戸惑いや淡い期待、そして落胆と一連の表情の流れを長回しで延々ととらえる。
望遠なので、子供たちの置かれている状況はわからない。後の引きの全体絵で初めてわかる。
冒頭から是枝節が全開だ。
全編がこの調子でドキュメンタリー映画に近い手法を導入している。
子役俳優として演技を強いるのではなく、実際に同じクラスの同級生となって、授業を受けたり、
校庭で遊んだり、家族と話したりと、全ての場面でなるべく作り手の作為が感じられないように、
子供のナチュラルな反応を引きだそうとしているのがわかる。
カメラはこ広角のロングショットか、望遠レンズ主体で、なるべくカットを割らずに長回しで、
カメラの存在(即ち監督の演出)そのものを意識しないように追い込んでいる。
実はラストショットの切り方にも通じるものがある。
ネタバレになるので、詳しくは記さないが、「え、そこで終わるのか?」というのが何とも痛快。
是枝監督が絶賛するのもわかる作品だ。

子供たちのリアルで生々しくも生き生きとした姿が全編で続くのだけれども、
同時に描かれる物語はシビアで痛々しい。
クラスではいつもひとりぼっちのソンが夏休み直前に出会った転校生ジアとの交流。
ほのぼのとしたひと夏の友情譚で始まる。
ええ話やなぁと浸っていると、夏休み明け、新学期からはクラスの仁義なき戦いが始まろうとは。
スクールカーストや派閥争い、そこから生じる無視やいじめ、密かに比較される家庭環境の格差など
たとえ小学校のクラスといえども実社会と同じマウンティングが繰り広げられる。
転校生ジアが自分のポジショニングのために、派閥間を態度を変えて、転々して挙句に自爆。
積み重ねたウソがばれたり、結局クラスの阻害対象に陥ったりと踏んだり蹴ったり。
マイペースに進むソンと何とか立ち回ろうと足掻くジアの対比が
仁義なき戦いを引き起こし、スリリングだけど、苦しい。
子供同士、傍の誰かを傷つけたり、傷つけられたりしながらも、日々を過ごし、少しづつ成長していく。
いろいろあっても親や教師はその領域に入り込めない。
閉じているのだ。
だから大人はすぐ近くにいながらも気が付かない、何もできない。
物語全体が女子視点で、男子の影が薄いのは監督が女性だからだろうか。

実は観ていて何度か苦しくなった。
記憶が蘇るのだ。自分の場合、一番ダークな時代は小学生よりも中学生の頃だった。
明確ないじめとまではいかないが、クラスで誰とも親しくなれない疎外感や
いつ誰かが何かのきっかけでいちゃもんつけるみたいになるか分からない不安感。
授業が終われば即帰宅して、私立高校受験のための塾通いの毎日。
あの頃の同級生の顔はひとりも思い浮かばない。
だけど具体的なシーンではなく、記憶の奥底にしまい込んで、
既になかったことにしてあるはずの断片が何故か次々浮かび上がってくるのだ。
物語の持つ力って恐ろしい。封印していた記憶までも復活させるのだ。


偏愛度合★★★