普通は期待してしまうよな。
「ラ・ラ・ランド」でのミュージカル映画再評価の中、
ましてや映画の元ネタであるドゥミ×ルグランの直系のフレンチミュージカルなのだ。
この流れに乗って二匹目の泥鰌を狙った配給会社も同じなんだけどね。
楽曲が不世出の才人ルミシェル・グランには到底及ばないのは仕方がないとして、
街中などロケーション中心の舞台や衣装や靴などで、原色を使ったカラフルな色使いは華々しい。
でも問題は中途半端なフェミニズムと社会背景を導入した挙句に、その初心を貫けずに自爆。
作劇的に一貫性のない、その場限りのキャラクター設定など全体的に雑な構成には共感できない。
ヒロインは「正社員が欲しい~♪」と歌って踊る、職なし、金なし、彼氏なしのジュリー。
演じるポーリーヌ・エチエンヌはちょっとポッチャリ気味だけど、
表情が豊かで愛嬌のあるファニーフェイスがキュートでツカミとしては問題なし。
試用期間中の量販靴店での採用結果は不採用で、
その代わりが明らかに彼女より巨乳の如何にも男性受けしような女性。
落ち込み、求職に困った挙句に、靴工場の倉庫番というアルバイトに至る。
古くからの伝統のある婦人靴の専門会社らしい。
老舗らしい会社のプロモーション映像が提示される。
如何に職人たちが繰り返し錬り込まれたデザインを、何工程にも渡る丁寧な手作業の加工で
芸術品ともいえる商品として完成さるかという宣伝素材だ。モノクロームで本物らしく再現されている。
そこに登場するのは揃いも揃って白衣を着こんだ男性職人ばかり。
ところが現在工場で働いているのは全員老齢の女性ばかりで外面と現実の明らかなギャップ。
実は世界は女性が動かしているのだ。
会社経営はパリ本社でのんきな若社長(男前)が現場無視の合理化の訴え、工場閉鎖を企む。
世現在多くの世界的なブランド力を有するメーカーのお決まりの道、中国への工場移転だ。
でも何故か彼の妻は中国系女性。単に尻に敷かれているのか?
自分たちが守って来た工場の閉鎖を阻止すべく、ストライきや本社直談判へと繰り出す展開。
女性を卑下した、男権主義的なフェミニズム感が中心となる。
ピケを張り、工場でストを敢行する古株女性たちに対して、入社したばかりのジュリーは、
確な意思もないまま単に断れずに運動へに駆り出される。
この主体性の無ささが最後には致命的な自爆へと繋がる。
会社御用達のイケメン運転手が気になり始め、酔った挙句にベッドインして恋仲へ。
でも運動との兼ね合いで会社に金で雇われた彼に見切りをつけて三行半。
会社側の仇役と思っていた受付秘書が何故か靴フェチで自社商品をこよなく愛する女性
であるといきなり転身するなど、展開が無茶苦茶。
彼女のアイディアで「戦う女」という名の真っ赤なヒールのない、でも美しい靴を復刻させて、
一気に経営陣に反旗を振りかざす。
革命的な勇ましい抵抗のようだけど、あっさりと「戦う女」は話題になり、
ボンクラ社長は金の臭いにつられて、工場移転を中止し、あっさりと自分の手柄へとすり替える。
女性革命成就のカタルシスは演出が下手くそなので、薄いけど、一応は感じられる。
しかし、功績を評価され正社員として採用決定されたジュリーに対して、
いざ契約という段階で重責故かその場から逃亡して、挙句振ったはずのイケメン野郎の元へと走る。
えええええええええという結末だ。いったい何それ?何のための行動なのか?全然わからん!
ミュージカル映画に現実世界と繋がる社会性を導入してはならないということではない。
「シェルブールの雨傘」だって背景となるのは、フランスのアルジェリア戦争なのだ。
ファミニズムを賛歌し、訴えるかのように装いながらも、
最後には何故かで勝手に自爆する脚本が許せない。ふざけるな!

補足だけど、「ラ・ラ・ランド」と比較するとデイミアン・チャゼルの策士ぶりが明確になる。
ここぞというシーンは一切カットを割って誤魔化さずに、
ミュージカル本来のスタイル通り長回し移動に徹する。
対してこっちはありがちにMTV風にパカパカとカット割りでお茶を濁す。演出力の核が違う。

偏愛度合★★★