舞台はポルトガルの港町ポルトながらも、監督のゲイブ・グリンガーはブラジル出身であり、
制作はポルトガル、フランス、ポーランド、アメリカと多国籍資本が乱れている。
主人公のアルトンイエルチェンはロシア移民のアメリカ国籍、
ヒロインのルシー・ルーカスはフランス人、何故か製作総指揮にアメリカからジム・ジャームシュ。
ポルトガルの古都に直接由来する者は不在で、
誰しもが人生の途中で訪れて、寄り部もなく滞在している旅人のような感覚が浮かび上がる。
32ミリ、16ミリ、スーパー8と撮影メディアを使い分け、それをそのまま編集している為、
1本の映画の中で画面サイズや粒度が変わていく。
如何にもシネフィルが好み、撮りそうな作品だ。
コメントを寄せているのがジャームシュ以外にもにリチャード・リンクレイターなどその筋の人。
更に如実なのが、冒頭で提示さる制作プロダクション名が「Band A Part」なのだ。
もちろんゴダール「はなればなれ」の原題であり、YouTubeにはオフィシャルなのか、
ファン編集なのがは不明だけど、こんな動画が上がっている。
主人公とヒロインの再会となる場となるエドワード・ホッパーの絵画のようなカフェでのシーンだ。
この一連長回しショットのバックに流れる曲「はなればなれの」で
アンナ・カリーナがマディソンダンスを踊る曲(ミシェル・ルグラン)を思わせる曲。
どうやらJohn Lee Hookerらしいけど。もうぐうの音も言えない直球オマージュぶり。
作品全体への製作総指揮のジャームシュの関与具合は不明だけど、
男性視点、女性視点、二人の視点と物語に章立てした三部構成を導入したり、
フィルムの使い分けなど「パターソン」他、彼の旧作との共通点も感じられる。
ただ弱いのが肝心のプロットであり、主人公の内面描写だ。
口の悪い輩だったら、プロットの弱さを編集テクニックで誤魔化しているとも揶揄されそうだ。
見ず知らぬ二人が偶然の三回の邂逅から、言葉もなく、愛し合い、
その晩のうちに何度も性交を繰り返す過程が読み取れない。
視点を変えての構成なので、同じシーンが繰り返される。勿論会話を交わすが、
いわゆる作劇上の説明的な台詞ではないので、惹かれあう濃密な空気感のみが残る。
唯一印象的な言葉は
「人はあらゆるものを忘れてしまうけど、忘れ去られたもの失われない」
という台詞だ。
二人を彩るのがポルトという街そのものの風景だ。
港、船、薄暗い通り道、カフェ、川、橋、ロープウェイ、カモメ、などが巧みな撮影で刻まれる。
エドワード・ホッパーの絵画の様な色彩感だ。
結局結ばれることなく、別れ離れになる二人。
アルトン・イエルチェンの遺作だ。作品は彼に献辞されている。
不慮の事故死なので、結果から逆に辿るのは反則技だけど、年齢の割には髪が薄く、
皺が目立ち、劇中でバーのカウンターで酔いつぶれ伏している様には死相すら感じらえた。
正直なところ、これからの役者としての活躍を見たかった。
偏愛度合★★★★