不思議な浮遊感を伴う作品だ。
観客が拠り所となる視点がグラデーションのように移り変わってゆく。
冒頭、恋人がまどろむベッドを早朝そっと抜け出て友人たちとサーフィンへ出かける
青年の姿が描かれる。恋人の顔をiPhoneで撮り、自転車で長い坂を下っていく。
当然彼の視点で彼女との愛の物語が物語が始まるのかと思えば、
あっさりとサーフィンからの帰宅時の交通事故で脳死状態となる。
視点は事故の報せを受けた両親の苦悩へと移りゆく。
でもそれと重なり、遠く離れたパリで心臓病を抱える女性の姿を描く。
やがて脳死判定で臓器移植が決まり、それを担う医師や移植コーディネーターの視点が重なる。
複数の視点から描く群像劇の一種なんだろうけど、留まることなく移動していく浮遊感が感じられる。
本来は映画は常に画面には不在の撮影者を意識しないという不問律で、
第四の壁の向こうから客観的に眺める形式だ。
主人自身が撮影者であったり、視覚とカメラを同調させるなどの例外的手法を除き、
映画は原則客観的なはずだが、誰かの視点と同調して主観的な感情を抱かせるのが常套だろう。
それが動いていく感じが所在がないと同時に、身を任せていると心地よく、移ろいゆくのだ。
結果として、特定の視点によらない客観性が生じる。
常に傍らから眺めている感じがする。
複数視点を交錯、カットバックさせて、全体をテクニカルに構築するのではなく、
緩やかに視点が移行していっても、物語も観客もまた違和感なく繋がっているのだ。
そこには客観的なリアリズムの視点が一貫している。
臓器移植で、ひとり青年の死が別の女性の生となり、命が繋がっていく様を
現実的な社会のプロトコルに従って、細部まで細々と描く。
作品全体を共通して貫いているのはブルーを基調とした淡い色彩の映像だ。
幻想的だけど、同時に細部までリアルに描写する。
このバランス感覚が絶妙だ。
邦題にある夜明け前の空の淡いグラデーションと
移植手術の臓器の生々しさとが不思議と同居している。
この不思議な感覚は初めてかも知れない。
監督は宣伝によるとミレニアム世代の気鋭の女性監督らしい。
女性ならではのといえば語弊があるが、今後が気になるちょっと面白い感覚かも知れない。
偏愛度合★★★★