リドリー・スコットという作家の二面性が現れている。
エンターテインメントとしてのサービス精神旺盛な大衆性と神話や宗教、哲学を引用した思弁性が
作品の中に微妙なバランスで同居しているのがのが「エイリアン コヴェナント」だ。

まずはエンターテインメント性。
前作エイリアンの前日譚なのにデカいハゲ親父ばかりでエイリアンが出てこないと不評だったのか、
今回は素直にお馴染みの姿のエイリアンが暴走しまくる。
元来CM監督出身なので、
ジャンルやテーマに節操がない職業監督としての大衆への娯楽作品としてのアピールも有する。
今回は「エイリアン」がSFというジャンル映画にホラーというジャンル映画を融合させたように、
原点へと戻って、SF映画の設定を借りたスラッシャー映画だ。
ゴア炸裂度ではシリーズで随一でスプラッターな閉鎖空間で襲ってくる殺人鬼映画となっている。
シリーズを重ねてエイリアンの容姿そのものが、
オリジナルのギーガーの性的メタファーを含むダークな異性体から独り歩きし、
誰もがお馴染みのポップアイコンと化したため、ちょい出しの演出は成立しない。
中盤からは血糊と共に暴走しまくりの堂々登場だ。
いちゃつくカップルが真っ先に殺されるなど、ジャンル映画の定石も律儀に守る。
シャワーで身体を合わせて乳繰り合うカップルを背後からエイリアンの口内の棒状突起で射貫くなど
もはやメタファーとは言えないわかりやすいまでに露骨な演出を駆使しする。
流石に類型的すぎて恐怖感はなく、「いよ!待ってました」とばかりに見得切りを楽しむのだ。
ものの見事に登場人物が次々と殺されまくる。
この開き直ったような痛快と言えば痛快だけど、誰が生き残るのかも定石通りなので想定内だ。
「プロメテウス」の10年後という時間的に連続して、その内容を補完する形で展開される続編なので、
事前の鑑賞は必要だろう。珍しく予習が役立った。

もうひとつの思弁性。
エンターテインメントの枠組みを守りながら、細部の設定に神話や宗教、哲学を忍ばせている。
前作「プロメテウス」がギリシャ神話で神から火を盗み人類へ与えた者ならば、
「コヴェナント」は神との契約となる。
どちらも船名としているが、引用元と隠喩するところは明らか。
アンドロイドのデヴィッドがダビデ像なのは劇中冒頭で説明されるが、
同型のウォルターも名もドイツ語で支配者、戦士らしい。
監督の自己完結的な思弁性は物語の裏に隠されたメッセージとなり、その筋の人は喜ぶだろう。
個人的にはこの手のある種こじつけ的な解釈は嫌いではなくて、いろいろと読み漁る方だ。
でも同時に血糊に金箔を貼り付けてた張りぼての豪華絢爛感もあり、どこか薄っぺらいのも事実。
知っていても、知らなくてもいいトリビアみたいなものか。

余談だが、
ネットで見た「出会う監督をすべて狂わせるマイケル・ファスベンダー」という文句には大笑いした。
前作に引き続きの登場で、実質的な主役である彼のことが好きすぎる監督が見え隠れする。
ある種監督の自己投影感があり、今回は後継種を含めた二役のダブルでの登場だ。
作品の思弁感は彼の存在が担当している。
本当にどれだけ監督を狂わせるねん!

偏愛度合★★★★