「この映画にはいいニュースと、悪いニュースがある。さてどちらから聞きたい?」

アメリカ映画でお馴染みの台詞だ。
同様の台詞をいったい何度聞いたことだろうか?

では、まずはいいニュースから。
紛れもないゾンビ映画だが、特殊なジャンル映画にとどまらない娯楽作品として、
2時間弱という尺内で疾走する列車内の閉鎖空間を舞台にノンストップアクションで描く。
ジャンル映画の枠内に留まらない夫婦、父と娘、恋人未満のカップル、学友など、
ごく普通の人間関係を「疫病感染」という突如日常に侵入した異物によってドラマとして再構築する。
物語は幅広く、エンターテイメントに楽しめるようにキャラクターは図式化されたいる。
メインとなる主人公数名の敵役として自己中心的な憎まれ役(会社役員)を配し、
それに助長する敵役の客室乗務員と職務を全うする列車運転手のプロフェショナリズム
の対比などにもさりげなく目配せする。
高速で走る列車という閉鎖舞台に紛れ込んだ一人の感染者という設定が見事だ。
列車という横幅のない縦長の、奥にしか逃げようがない密室劇として展開される。
パンデミックに感染者が増え、狭い空間を上下に重なりながらと連なり迫ってくる絵が素晴らしい。
対抗する手段としてはアメリカ映画なら当たり前の銃器や刃物などはなく、
唯一の武器的なものが野球バットのみで、基本素手と蹴りで防がなければならない。
この条件付けがよりリアルな目の前の出来事として迫ってくる。
夫婦関係が壊れた父親役コン・ユの顔つきが物語の進行につれて、
服は血まみれで状況は悪化の一方だけど、娘を守る父として清々しくいい顔になっていく。
妊娠中の妻を何としてでも守ろうとする素手で感染者と闘うマ・ドンソクの怒涛の頼もしさもある。
舞台設定は斬新だけど、目新しい筋立てではないが、スピードと演出で一気に語り切る。
またゾンビ映画の隠しテーマである社会性も用意。
オリジナル「ゾンビ」がベトナム戦争への反戦運動や黒人公民権運動などでアメリカ国内が
半ば内戦状態であったことが背景ならば、こちらは北から南へ感染者が攻めてくるというのが
朝鮮半島の一触即発に緊張化する南北問題であることは明らかだろう。
北からの感染者拡大でソウルは陥落し、南下しつつ、最終防衛線が釜山というのも暗示的。
未見の前日譚であるアニメーション「ソウルステーション」で感染者大量発生の背景説明は
あるのかもしれないが、実はそこは描く必要がない。
何かの災害が発生した時、現場で被害者となる市井の人には知る由もない情報だからだ。
「ゾンビ」でも日本公開版では、冒頭に宇宙線で死者が蘇るなどとそれらしい理由を
補足説明してあったが、オリジナルにはない蛇足に過ぎない。
突然因果関係も、理由もなく隣人が襲ってくるのが恐怖なのだ。
韓国というお国柄と舞台設定を活かした文句なしのゾンビ映画。

さて、悪いニュース。
このジャンルを偏愛する愛好家(単なる変態ともいえるが)としてはゴアが足らない。
血糊と肉片が足らないのだ。
甘くないスイーツ、カフェインレスコーヒー、ダイエットコークなど本来含まれおり、
それ自体が商品を根幹となるべき要素を意図的に排除するのが正直苦手なのだ。
排除対象によって、本来ならば受けいれられないはずの顧客層を取り込み、客層を広げるとい手法。
確かにストーリーをマニアでない一般観客への汎用化と類型化、簡潔化と血糊量は矛盾する。
しかしゾンビというジャンル映画におけるゴア描写こそ、
歌舞伎における見得切りと同じで、血糊炸裂と腸の流出、肉体破壊はお決まりの見せ場なのだ。
目を閉じて怖がっているわけでも、眉をしかめるわけでもなく、
「いよ、待ってました!」という感じで見せ場なのだ。
現在の様にCGで血をクリッククリックとポスプロで付け加えるわけではなく、
アナログ時代には目の前で展開されている風景をカメラで記録するのみだ。
現場でカメラの前で、ゾンビに齧られ、血糊が飛び散り、腸が流出し、
手足がバラバラにされるという姿を提示しなければならないのだ。
この見せ場の為には、予算ないけど、アイディアとはったりで乗り切る。
トム・ザビーニという天才がその原点だろう。
豚や牛の腸を集め、粘着質の赤インクで血糊を管からポンプで流出させる。
この地味など苦労こそが、リアルな場面をつくり、
それが後世に作品を越えてブラシュアップされ伝道されてきたのだ。
昨今こそ安易なCG主体となったが、やはりゴアあってのジャンル映画なのだ。
感染者(ゾンビ)も白目をむいた単に顔色の悪い、青筋の血管の浮いた体調の悪い人にしか見えない。
ちょっとそこだけは残念無念。
邦画「アイアムアヒーロー」並に娯楽性と徹底した肉体破壊性を併せ持って欲しかった。
指定が上がっても、あるいは別のハードコアバージョンとしてでも、ゴアを炸裂して欲しかった。
十代に先日亡くなったジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」を劇場でショックを受けて以来、
延々とこのジャンルの獣道を突き進み、現実世界が追い込まれてくると夢にまで登場するほどのものだ。
大概「ゾンビ」と楳図かずお「漂流教室」をミックスしたような世界の終わりの物語だ。
トラウマ的な恐怖と思い入れが詰まった私的映画史の一部でもあるのだ。
あゝついつい偏愛ジャンル故に長文に渡り熱く語ってしまった。
どちっかというと悪いニュースってわけではなく、愚痴に近いかもしれないな。

最後に補足だけど「ゾンビ」というワードは放送禁止か、商標登録用語なのか?
ブラッド・ピットのゾンビ映画での配給会社による「ゾンビ」ワード使用禁止令以来、
確かにこの映画のチラシにもこのワードは一言も書かれていない。
差別言葉を不適切用語として別の言葉に置き換えるようなものだ。
差別の本質が消えたわけではなく、単に表面を繕った隠蔽に過ぎない。
これはまぎれもないゾンビ映画だ。
それも事前下馬評通り、エンターテイメントとしても極めて優れたゾンビ映画なのは間違いない。


偏愛度合★★★