ただボブ君を憂う。
物語自体が実話ベースなので、映画は役者を使った再現劇であり、彼は本人役として、登場している。
勿論複数の猫スタンドインもクレジットされているので、
全編というわけではないだろうが、ボブ君はどんな気持ちだったのだろう?
カメラの前で監督に俳優と身勝手な人間達の指示で動かなければならないのだから。
フランソワ・トリフォ―作品「アメリカの夜」を思い出した。
猫という生き物が如何に映画撮影に不向きかというエピソードがある。
窓際を横切り、皿のミルクを舐めるというごく単純なシーンを撮影するのに
何にも縛られない猫の気まぐれ行動で何度も何度もリテイクを出し、監督が苦悶するという名シーンだ。
ボブ君は劇中のクレジットで写真で登場する(また実話ベースのこのパターンか!)ジェームズとは
飼主と飼い猫という上下ではなく、ロンドンの街で偶然に出会ったバディ同士として、
何かしらの繋がりを抱いていたのだろう。
でもそれをあたかも今、ここで起こっているかのように見知らぬ俳優相手に再現するなんて、
映画制作という都合には猫には無関係なことだ。
人間だって自分の人生の辛く、嫌だった頃を演技して、再現してみろと言われればうんざりするだろう。
ましてや、相手は自由な猫。
社交的なタイプや排他的なタイプなど猫にもいろいろな性格があるだろうけど、
基本的猫の持つ性分を何よりも自由を愛する傾向を思うとちょっと憂いでしまう。
猫を飼っていた身としては、その縛られない自由さ愛する者として逆に痛感してしまう。

確かにイイ話だ。
ロンドンで家なしの路上生活者で金もなく、おまけに麻薬中毒者、
日々ギター一本の弾き語りのチップで生活しているというボトムの人間が
猫との出会いを通じて立ち直っていくという現実にはあり得ないくらいに稀な成功譚を再現する。
彼の人生を書籍化したら、美談として盛り上がり、世界中で大ベストセラー、更に商売っ気は止まらず、
満を持して、猫本人をも駆り出されての映画化なのだ。
そりゃ、へそ曲がりとしてはやり過ぎ感を疑ってしまうのは仕方がない。
実話ベースかも知れないが、周囲の人物像もジャンキー仲間、ジェームズを支える良き隣人女性、
世界中にどこにでも生息する誰に頼まれたわけでもないのに猫奉仕活動する猫オバサン、
彼を嫉妬する路上生活者など、わかりやすいくらいに図式化され、
何かしらの困難が訪れ、それを猫と共に乗り越えていくという定石通りの展開が用意されている。
当然宣伝には、「実話を元にした感動作」「奇跡」「大反響」「思いもよらぬセカンドチャンス」
「心温まる」と月並みな煽り文句がここぞとばかりに並ぶ。
正直言って、もう実話も感動も食傷気味。毒ののない映画はつまらない。
そして、更に苦言を添えれば、彼がギター1本を弾きながら歌う音楽のつまらなさ。
溢れる自意識だけでできた、陳腐の内面告白ソングばかりだ。毒のない音楽もまたつまらない。

偏愛度合★★★