スラム街というコミュニティにおける麻薬を介した人間模様劇。
確かにロドリゴ・ドゥテルテ大統領による徹底した麻薬撲滅運動が背景となっているが、
大量の麻薬の製造、提供する組織であるカルテルの実体追及もなく、
日常的に雑貨屋などの小商いで行われる末端のビニール袋に入った数グラム程度の売買が中心。
映画自体は意図的に、木を見て森を見ない。
駄菓子や食品を売る店を構えながらも、裏で「アイスキャンディー」と隠語される麻薬を扱う。
主人公ローサは、麻薬に手を出すぐうたら亭主と子沢山の生活を支えるためである。
完全に善(白)なる存在ではないが、同時に悪(黒)でもない。
公的には上からの命令により、これら密売人を摘発することで、投獄、拷問して、密告させ、
元凶の草の根を手繰る一方、保釈金という名目で多額の上納金をせびり、
麻薬をくすねて私腹を肥やす悪徳警官、自警団の姿もある。
彼らもまたやっていることは汚いけど、あくまでもボトムで生きる生々しい人間模様に過ぎず、
明確な善悪の対比、ましてや勧善懲悪なカタルシスなんてどこにもない。
目の前に横たわるリアリスティックで混沌たる世界なのだ。観客もまた、単純に肯定未否定もできない。
スラム街という狭い閉鎖エリア、昔の日本の近所付き合いみたいな顔見知りで密な関係がある。
血縁で繋がった家族やそれに準ずるぎ義理家族、友人、常連客などが濃すぎるくらいに入り乱れている。
閉鎖社会において、こん人間関係は人と人とのセーフティネットとして機能している反面、
自己都合で利用するというマイナスの側面を持つ。
邦題通りローサは密告されたのだ。
顔見知りで可愛がっていた兄が弟の釈放を警察から持ち掛けられ、ローサの名をチクる。
しかし現行犯摘発されたローサ夫妻は被害者なのかといえば、あっさりと仕入れ先の売人の名を告げる。
そう、「ローサは密告され、ローサは密告した」というのが正しい邦題だ。
別に作品視点はこのことの合否、善悪を問うているわけではない。
それを強いる権力側がいる限り、密告は誰しもに起こりうる出来事なのだ。
ここでフィリピンでの大統領令による麻薬撲滅という背景が活きてくる。
ただ森は一切描かないで、末端の木の枝の先のみを執拗に描く。
実は登場人物の善悪ではなく、密かに作品に隠されたテーマはここにあるのだ。
雑多の人ごみに車やシクロ(人力タクシー)が溢れ、延々と雨が続きで道路はぬかるみ、
ネオンは暗くくすむ様を延々と手持ちの長回しで捉える。
常に緊張感が漂い、ハリウッド映画文法の定石で言えば絶対何か起こりそうな
禍々しいロングショットなのに、単に裏手へ歩いているだけと、巧みに観客心理をすかす。
全編通してのドキュメンタリー映画のような緊張感は半端ない。


偏愛度合★★★