満島ひかりは素晴らしい。
でも昔「ベンチがアホやから野球がでけへん」という発言で馘首された投手がいたが、
思わず「監督がアホやから映画がでけへん」と大声で断言したくなる作品なのだ。
映画で役者が素晴らしい演技を披露すれば、それは役者の実力である。
でも逆に作品自体がちんたらとつまらない代物であれば、それは監督の実力である。
監督やら脚本やら、つくり手であるベンチがアホなのだ。
愚鈍な監督というベンチのおかげで満島ひかりの熱演が空回りしているのだ。
監督・脚本を手掛ける越川道夫なる人物のキャリアは知らないが、そして知りたいと思わないが、
今後は近づくのは避けておいた方が良さそうだ。どうやら本来は製作者らしい。
製作のみ手掛けた作品には、好みのものあるが、それは逆に監督の実力だろう。

奄美の作家の物語を祖母方の出身が奄美という満島ひかりに流れる血筋そのままの故に役柄との
シンクロ率と演技に臨む気合の入った熱量は半端なく、文字通り身を張って挑んだ役柄だろう。
短髪で化粧っ気のない姿、白い麻のシャツにワンピースや巻きスカートなど普段着姿が素敵だ。
作品を越えて一貫している満島ひかりにしか演じられな独特の間合いも健在。
常々感じていたその独特な言葉のイントネーションとブレスが奄美ルーツであることを確認できた。
相手役の永山絢斗の相性も良い。
兄である瑛太と声だけブラインドで聴けば判読できないくらいに似ていても、キャラクター薄口で、
瑛太を薄めたB太とか言われているが、攻めの演技の満島ひかり対しては、
相手役の存在と間合いに変に自己主張することなく受け入れるという守りの演技なので相性は悪くない。
私生活でも、同じような関係なのかも知れない。

この二人を揃えることが出来ながらも、如何にしたらこうも酷い作品が出来上がるのだろうか?
ある意味不思議だ。
まずは全体的に嘘臭い、生々しさに欠けるつくりものめいている。
奄美までロケーション撮影しながらも、島特有のランドスケープ感が全くない。
確かにそれらしい遠景に島影の浜辺の小屋、木漏れ日の峠道、花の咲き乱れる庭などの風景、
そして奄美の方言、島唄などがこれぞとばかりに並べられるが、不思議なくらいにリアルには感じない。
そう、何か舞台の上の書き割りの映ようなのだ。
本来は台詞や歌詞に字幕が添えられるように、
内地とは全く異なる文化圏で別の空気感を醸し出しているのだろう。
でも実は江の島でロケしましたと言われても信じてしまいそうなくらいに、島の空気感が希薄に感じる。
まるで舞台で書き割り画を背景に役者が熱演してい様を中継しているかのような演出なのだ。
演出は固定フレームでの長回しが基本。
馬鹿正直に中央に立つ人物の元へと上手から別人物がフレームインして、
向き合い会話するなど舞台をそのままなぞったような手法なのだ。
いったいカメラの向こう側の監督は何を望んでいたのだろうか?
固定での長回しを全面否定するのではない。
方法の選択は目的達成の手段という演出者の意図そのものだ。それが全くちぐはぐしている。
二人を繋げる周囲を子役(学校の生徒)もこの時代背景なのに小綺麗で垢抜けていて、
ちゃんと演技している感じが逆に興ざめする。
エピソードの積み重ね自体もダラダラとしておいて緊張感に欠けるので、
155分という長尺に必然性が感じられらない。
そう時代背景の緊迫感も欠落している。
太平洋戦争末期の敗戦色が濃厚な混乱期の海軍の特攻舞台なのにどうにも弛緩している。
沖縄の陥落、新型爆弾の投下などどれらしい台詞で状況説明されるが、全く緊張感がない。
舞台となる場所こそ異なるが同じ時代背景の「この世界の片隅に」での後半に向かう凄まじい緊迫感、
2時間という尺なのにみっちりと情報が詰まった構成力など、監督の力量の差をありありと感じる。
余談にはなるが、愛する男の特攻を翌日に控えたヒロインが文字通りもろ肌脱いで冷水で身を清め、
祈願するシーンを真正面のミディアムショットの固定で長回しする監督の演出の意図が不明というか、
デリカシーの欠如には心底飽きれた。
女優満島ひかりへの根性焼きか、観客サービスのつもりなのか、もういい加減にしろと腹立たしい。
結局映画がどうしようもないのは、全てはベンチ(監督)が愚鈍故なのか?
作品偏愛度合は最低だけど、満島ひかりの熱演分★プラス。

偏愛度合★★★