「セッション」はマイルズ・テラーの全身からにじみ出る傲慢なキモオタ感が苦手で、
作品自体の演出的な技巧は認めても、作品が苦手だったので、いきなりテラー踏み絵が待っている。
結果は、結構オーソドックスな実話をベースにしたボクシング風味の家族映画だった。
ボクシング自体は、ボクサーという主人公のキャラクターにおける動機付けであり、
彼を中心とした家族関係、あるいは疑似的な家族としての人間模様だ。
相変わらずマイルズ・テラーは気持ち悪いけど、
交通事故で首の骨を折りながらも再度リングへと挑戦する不屈の青年を力任せに演じていた。
確かに熱演だけど、殆どヤンキーの根性焼きの世界だ。
この傲慢なまでのチンピラ感はいい意味でも悪い意味でも彼の特質なんだろう。認めざる得ない。
「ロッキー」シリーズのリングでの熱すぎるファイトシーン描写、
その直系「グリード」での新機軸な手持ちロングショットなどの華麗さは希薄。
闘いそのものは割と淡々と描き、どちらかと言えば中継をモニター越しに眺めている感じ。
実際に劇中でも家族一同は茶の間のテレビにかじりついて一喜一憂する。
実は主題となっているのは、人間関係の方だ。
リングで殴り合っているより、
家族で集まって飯食っている時間の方が長いないのではいうくらいに家族を強調する。
マーティン・スコセッシが製作総指揮だからイタリア系ならでのは濃密さなのか?
セコンドである父との関係性、試合放映を直視できないという母の息子の安否を気遣う気持ち、
事故の際に車に同乗していた兄の思いなど血縁関係の濃さは類を見ない。
時として考えが異なっても、常に血の結びつきは根深く、最後には家族共に生きる。
そこにトレーナーを演じるアーロンエッカートとの疑似的な父子、師弟関係が加わる。
禿げ頭にメタボ腹という人体改造演技で主人公をサポートする。
脛骨骨折により医者からは再起不能と言い渡されながらも、執拗に再起を図る。
やがてそれが周囲の人間関係を巻き込み、再度リングへと上がり、勝利へと導く。
「ロッキー」があのテーマ曲をバックのスローモーション、ストップモーションなど、
臭いまでの外連味のある感動演出だったけど、その辺は、割と抑制気味で淡泊に事実を追う。
ラストには涙ボロボロというタイプではない。
実話を元にした伝記映画故なのか、それとも商売っ気のない監督の気質なのか?

ちなみに実話ベース映画で繰り返してディスっている
ラストクレジットでの本人登場はいい加減にやめようよ。リアリティが増すどころか興醒めするだけ。

偏愛度合★★★