「トンネル」と同様に何故か物語の途中で消えてしまった登場人物が気になる。
あるところまで登場していた人物が後半プッツリと消息を断つことがある。
所詮は脇役なので、全体の流れさえ守れば、全てをきっちりフォローする必要性はないが、
時折それがしこりとなり、全体の構成を疑ってしまう齟齬となる。
今回消えたのは前田敦子。
役柄としては酒浸りの綾野剛の恋人役。
素肌に男物Tシャツでパンツまで見せて男性妄想全開(監督の趣味か?)ながらも消え去る。
ある評論家も同様のことが書いていたので、やはり気になる人は気になるのだろう。

別にそのことを追求しようというのではない。
それくらい物語の構成が杜撰なのだ。物語全体が雑なのだ。
脚本自体に、あるいは演出や編集に難があったのかは不明だけど、
似たような回想シーンばかりを何度も繰り返し、然程大きなネタでもないプロットを仰々しく水増しする。
件の前田敦子の役柄も本流からは不要で切り捨てるべきだろうし、
例え本編に残すにしても、印象の薄い匿名性の高い女優を配するべきだろう。
別に前田敦子を偏愛しているわけでないが、
他作品ではそれなりに存在感のある若手女優の無駄遣いは合理的でない。

基本ヤンキーの絶叫での格闘映画だ。
役者に肉体改造を施し、剣道の流儀を叩き込み、
映画的なリアリズムに違和感のないバトルシーンを演じさせる。
ひと昔前、何を考えているかわからない軟弱青年のイメージの綾野剛のムキムキボディには驚いた。
格闘シーンもカットを細かく割って誤魔化す手法ではなく、
ここぞとばかりに長回しで一連の動きを捉える演出は、それなりに迫力がある。
しかし物語の背景となる父と息子の確執の回想シーンが延々と繰り返されるのは正直クドイ。
綾野剛に高校生を演じさせるのも力技さだし、使いまわしたような似たようなシーンばかりが並ぶ。
絵にかいたような酔っ払いのくどい演技もtちょっと興ざめ気味だ。
そこに村上虹郎演じるかつての自分を投影した第三者が現われる。
彼は河瀨直美という出目故に毛嫌いしていた二世俳優だけど、
最近は親の七光りに留まらない、懸命さが感じられ、だいぶんと抵抗がなくなって来た。
但し、そこでも意味もなくひたすら闘う。
ギャー、ギャー、チャンチャン、バラバラという絶叫の闘いが延々と続く。
それなりにつくり込んであるので、ちゃちいのではないが、闘いとか勝ち負け自体が大嫌いなのだ。
ヤンキー感は更に親子、師匠、同輩など体育会系の上下関係で支配される関係性に及ぶ。
マイタウン愛(舞台は鎌倉)もまたヤンキー脳に顕著な傾向だ。
残念ながら、たかが映画であっても、
ぬぐえないヤンキー臭には耐えられない性分故に途中で投げ出したくなった。

偏愛度合★★★