ありふれた現実世界に知らぬうちに異分子が何食わぬ顔で侵入する。
もしSF映画ならば火星から来た蜘蛛であったり、遊星からの物体Xであったりするわけだけど、
この映画の場合、それはポエマーだ。
ごく平凡な普通人のように生活しているけど、同類同士が会話する時、何故か言語がポエムとなる。
原作となっている最果タヒの文語的な散文詩を台詞としてひたすら呟き続ける。
当然、周囲と日常会話とは噛み合わない二人だけの世界だ。
逆に舞台となる風景や二人以外の登場人物は現代の東京社会をリアルに描く。
それはハイソサエティではなく、どちらかと言えば、社会の底辺に属したダークな現実だ。
エアコン代を払えず熱中症で孤独死する身寄りのない老人、
職を失い腰を痛めながらも肉体労働に従事する中年男、突然死の青年など決して幸福ではなく、
どん詰まりの閉塞感とぬぐいきれない死の臭いと共に日々を生き抜いている者たちだ。
ただ単純に現代社会の闇としてネガティヴに描いているわけではなく、
安易に物語上の救いや癒しを投げかけることもなく、
ありのままを見つめる視線は冷めてはいるけど、何処かやさしげでもある。
またタイトルのようにブルーを基調とした夜の東京の風景も見事だ。
劇場の外にひろがる観客の現実と地続きの世界として違和感なく緻密に描く。
このリアルな舞台とのギャップ故に、二人の交わされるポエティックな言葉が宙が浮遊する。
そこに馴染めない者同士だけが言葉を通じて緩やかに繋がるのだ。
実はこへんてこな物語構造が,妙に心地よいのだ。
物語のない断片的な言葉の連なりである詩を
起承転結のある映画の物語の原作として再構築する手法としては斬新。

何よりも石橋静河が素晴らしい。
石橋凌と原田美枝子の娘らしいが、
決してシンメトリカルで美人すぎない、絶妙に崩れたバランスの容姿は個人的にはツボの顔立ち。
昔の市川実日子に似た顔つきとた空気感、
そして独特の棒読みの様な朴訥な台詞回しと顔と思ってたら本人が回想での母役で登場した。
池松壮亮もまた、いつものボソボソ喋りな台詞回しが役柄にしっくりくる。
今回はお馴染みの脱ぎと腰振り、女こまし術は封印して、人の好いストイックな青年を好演している。
このポエマー二人の会話の空気感が何とも濃密なのだ。
まるでエイリアン同士が地球人には判読できない電波でコミュニケーションしているかのようだ。
ちなみに個人的にはポエムとポエマーを嫌悪している。
詩作を読んでも染み入るように理解できたことは一度もない。
大概は垂れ流しされる自意識が居心地悪いのだ。
だからこそ詩集の映画化と知って、一抹の不安を抱いていたが、
生身の役者に台詞として語らせるという、演劇や舞台にも通じる手法で違和感なく克服できる。
これはアンチポエマーでも大丈夫な画期的なポエム映画だ。


偏愛度合★★★★